春の新作ロングラン『 ぬれぎぬ 』のお知らせ

  • 2014.02.28 Friday
  • 04:30

やります!


アマヤドリ2014三部作「悪と自由」のシリーズ vol.1 
風姿花伝プロジェクト「プロミシング・カンパニー」特別企画ロングラン
 

『 ぬれぎぬ 』


2014/04/01(火)-2014/04/23(水)@シアター風姿花伝 作・演出 広田淳一




【ご挨拶】
 
2014年度、アマヤドリは三部作に挑む。「悪と自由」の三部作、というのである。なんだか大げさなタイトルだが、なに、大抵の人間はどこかに悪と自由の問題を抱えているんだから何を書いたって大きくテーマから逸れることはあるまい。自由に書くには悪くないタイトルだ。
 
悪について書きたい、と思ったのはあまりに自分が善人でイヤ気がさしてしまったからだ。いや、冗談ではない。本気で言っている。嫌なヤツだと思われることは簡単だが、そうと知りつつ悪を行うのは臆病な人間にとってそんなに簡単なことではない。少なくとも善人を演じていたほうが社会というのは過ごしやすくできているし、おかげで僕は、良いと信じて善を行うのではなく、過ごしやすさのために善を選んで生きている。
 
どうせ書くなら絶対的に悪い、とんでもなく悪いヤツを書いてやろうと考えた。そいつはきっと孤独なヤツだ。なにせ悪なんだから友達なんかいない。たくさんの悪友に囲まれている悪人なんて大した悪じゃあない。そう、絶対の悪は他人とつるまない。いつも一人で、他人の幸福なんてものを一切考慮しないで生きている。だけど、絶対の悪人は、絶対の孤独ではないはずだ。だって想像してみて欲しい、地球にたった一人で残されちまったヤツに悪事を働き続けることなんてできるんだろうか? かなり難しい。
 
悪ってのは関係のことなのかもしれない。少なくとも、そいつのことを「悪い」と感じる相手が居なけりゃ悪にすらなれない。したがってこの作品の主人公はとんでもなく孤独で、だけど、しっかり誰かとの関係は続いている、そんなヤツだ。それはきっと僕みたいな、あなたみたいなヤツだろう。
 
さて、ロングランである。シアター風姿花伝さまのご厚意で約一ヶ月もの長きに渡って本番を打てることになった。フリーパスなんてものも用意したからぜひ一度と言わず何度でも来てやって欲しい。俳優たちもまた、関係の中でしか俳優ではいられない存在なのだから。
 
作・演出・主宰 広田淳一
 

【出演】
 
笠井里美
松下仁
糸山和則
渡邉圭介
小角まや
榊菜津美
中村早香
 
【公演日程】
 
2014年04月01日(火) ★19:30
2014年04月02日(水) ★19:30
2014年04月03日(木) ★14:00/★19:30
2014年04月04日(金) ★19:30
2014年04月05日(土) ★15:00/★19:00
2014年04月06日(日) ★15:00/★19:00
2014年04月07日(月) 休演日
2014年04月08日(火) 19:30
2014年04月09日(水) 14:00
2014年04月10日(木) 19:30
2014年04月11日(金) 19:30
2014年04月12日(土) 15:00/19:00
2014年04月13日(日) 15:00/19:00
2014年04月14日(月) 19:30
2014年04月15日(火) 休演日
2014年04月16日(水) 19:30
2014年04月17日(木) 19:30
2014年04月18日(金) 19:30
2014年04月19日(土) 15:00/19:00
2014年04月20日(日) 11:00/15:00
2014年04月21日(月) 19:30
2014年04月22日(火) 14:00/19:30
2014年04月23日(水) 14:00
 
★…プレヴュー期間
 
【チケット料金(全席自由)】
 
【一般】 前売/当日 2800円
【フリーパス】 3800円
【学生】 2000円
【高校生以下】 1000円
【タダ観でゴー!】 0円(枚数限定・劇団予約のみ)
【プレヴュー価格】 2500円
【プレミアム・フリーパス】 8000円(別途特典あり!)
 
 ★フリーパスとは?
 
本作はアマヤドリ初のロングランです。約1ヶ月に及ぶ公演期間中、本作を何度でもご覧いただけるのがこのフリーパスです。何度でもご覧いただけるのにこの価格! 無理、してます。 なにせ演劇は生もの。毎ステージごとに生まれ直します。よろしければ私たちの作品の変化/進化をフリーパスを使って一緒に体験してみませんか? 旅は道づれ、世は情け。1ヶ月の変遷を通じて私たちが何を考え、何に向かって創作を行っているのかを存分に味わっていただければと思います。道中、ご一緒いただける方はぜひともフリーにパスしてやってください!
 
★プレミアム・フリーパスとは?
 
 フリーパスにさらに特典がついたのがこちらのプレミアム・フリーパス。過去公演のDVDや特製フォトブック、ポストカードなど、アマヤドリ・オリジナルグッズがついてくるとともに、「アマヤドリはわしが育てた」と堂々宣言する権利がついて来ます。
 
※『うれしい悲鳴(再演)』『太陽とサヨナラ』のDVDの発売予定に関しては未定です。



 

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冬の利賀にて 鈴木さんの話、とそこから考えたこと。※微調整版

  • 2014.02.12 Wednesday
  • 16:50


まずはメモ風に鈴木忠志さんの話で印象に残った部分を。もちろん広田の超訳であるので悪しからず。
 
【スズキ・メソッドの見学】
 
今回の「演劇人のための鈴木教室」in利賀では、実際にSCOTの人たちが行うスズキ・メソッドのトレーニングを見学させていただいた。そもそもスズキ・メソッドとは何か? ということを僕がここで論じるのはまったく不適格でおこがましいのだが、大雑把に言えば「俳優のための身体訓練の方法」ということになるのかと思う。僕が特徴的だと感じたのは「重心のコントロール」、「水平移動」などの身体コントロール術と、様々な体勢からの発声/台詞を発するという声の技術が同時に扱われているということだ。ゲーム性は皆無と言ってよく、まさに基礎訓練という印象。クラシック・バレエに理解がある人にとってはバーレッスンをイメージしてもらうのが早いと思う。日本の伝統芸能の身体所作から着想を得た動きが多く、重心を下げたままの水平移動、すり足、あるいは木刀を使った所作など、色濃く「和」の雰囲気が漂う。が、それらは特定の伝統芸能に特に依拠しているわけではない。そこにスズキ・メソッドの大きな特徴がある。あくまでも様々なジャンルの身体所作を鈴木さんが観察、取捨選択し、なおかつ日々、創意工夫を凝らしながら鈴木演劇のために必要な訓練を劇団の活動を通じて練り上げていったのだ。

実は自分はこの時以前にもスズキ・メソッドを見たことがあった。というより、かつて俳優として参加した公演において、その時の演出家の意向でスズキ・メソッドに取り組んだ経験すらあった。……が、まあ、なかなか本場仕込みというのはまた違った迫力があるもので、日々、訓練を積んだ方々が20名以上勢揃いしている様子は圧巻だった。

「日本で一番ケンカの強い劇団を作ってるんだ」と鈴木さんは冗談めかして言っていた。確かにスズキ・メソッドの足踏み、木刀振りなどを見ていると、その殺気、身体の研ぎ澄まされ方など、劇団対抗でケンカをした場合SCOTに比肩する劇団は見当たらないと思えた。うーん。無鉄砲さのゲキバカ(偏見)、組織力のSPAC、あるいは圧倒的数の力で劇団四季……という強豪も控えてはいるが、やはり構成員の個々の戦闘能力を考慮すると他の追随を許さないと言えよう(アマヤドリなどは言うに及ばず)。いや、別にケンカが強くなるための訓練というわけでは全くない。「強さ」を目指しているわけではない。
 
ただ、オリンピック選手などを見ていても思うことだが、とりわけ身体運用の「美」と「強さ」には密接な繋がりがあるようだ。かつて元軍人の利賀の村民がこんなことを言ったそうだ。「鈴木さんとこの訓練は軍隊より厳しい。あなたたちの作品はよくわからんが、この訓練に耐えている人たちは信用できる」と。また、鈴木さんは言っていた。「最初は村の人たちも、なんだか東京の奴らが冷やかしで来たんじゃないか? という疑いみたいなものを持っていたんだけど、おいらは家を建てちゃった。それで『あんたたちが逃げ出しても俺らはここに居るからな』って言ってやった。劇団が利賀に来た時に1500人ぐらい居た村民は今は500人以下になった。実際、言った通りになった部分はある。」何が人の信用を勝ち得るのかを考える上でどちらも考えさせられる言葉だ。覚悟と信念、そして行動と積み上げた時間。
 
【水平移動、自分の体をスキャンする】
 
スズキ・メソッドにおいて特に重視されていることのひとつに重心の水平移動がある。鈴木さんはバレエや能・狂言の身体運用の例などをひきながら、舞台芸術においていかに
水平移動が重視されてきたかを語った。と同時に100メートル走の例をあげて、水平移動と最速、ということの密接な関係についても述べていた。100メートル走において「最速」はすなわち「強さ」であり、それは「美」とも通底する。

したがってスズキ・メソッドでは水平移動のための訓練が数多く用意されていた。しかも、水平移動をしつつ、かつ台詞を喋れる身体の状態を目指すのである。実際、訓練の最中に台詞を言うための指示がいきなり出されても俳優たちは見事に身体の緊張感を保ったままで台詞を喋りだす。こういった訓練を日々、繰り返し行うことによって俳優はその都度、身体の状態を自分でチェックするのだという。
 
途中、大変おもしろい場面を見せてもらった。まず、俳優たちが舞台奥に一列に並び、決められた足捌きで音楽に合わせて前へ前へと進んでくる。もちろん、みな、まっすぐに舞台正面に向かって進んでくるのだが、その後、俳優たちはそれぞれハチマキのような目隠しをつけて、その状態で同じ動きを行う。すると、さっきはまっすぐに進んでこれたSCOTのメンバーたちが斜めに進んでしまったり、時には真横になってしまったりするのだ。同様の訓練として、片足でバランスを保持する際に目を閉じさせる、というものもあった。やはりこの時も目をつぶった瞬間から俳優の体はバランスを崩し始め、グラグラと揺れる。鈴木さんも言っていたが、「うちの連中だからこの程度ですんでいるけど、訓練していないやつだったらもっとバラバラになる」のだろうと思う。SCOTのメンバーですら視覚情報を断たれるとバランスを保っていることが出来ないということ、いかに人間が視覚に頼って身体をコントロールしているかを示す象徴的な場面だった。鈴木さんいわく、
 
「近年になってテレビが日常に溶け込み、パソコンが出て、携帯が出て、ますますモニター画面を見ることが多くなった。要するに視覚ばかりに頼って現代人は生活をしているわけだけど、もっと五感を使わないといけない。そうでなきゃ舞台上で自分の体を活かしきることはできない。」
 
なるほど、と素直に納得した。



 
【スズキ・メソッドについての質疑応答 参照項を巡って】
 
SCOTの方々によるスズキ・メソッドの訓練をひとしきり見学させていただいたあと、質疑応答の時間が設けられた。そこで鳥公園の西尾佳織さんからとても興味深い質問が出された。いわく、
 
「スズキ・メソッドでは様々な形で武道や古典芸能の動きが参照されているようだ。ところで、私たちの日常はそういったものとはほとんど無縁だが、なぜ、特にそれらの動きを選択するのか? その必然性は何か?」と、だいたいそういう主旨のことを彼女は言っていたように思う。それに対して鈴木さんが答えたのは以下のようなこと。
 
「日常の身体にこだわる理由もまた明確ではないはずだ。たとえばギリシア悲劇やシェイクスピア戯曲の登場人物たちが生きるのは日常からは明らかに逸脱した行為/状態であって、それらを演じるために日常の手頃さ、身近な感覚にこだわり続けることの意味はむしろ薄い。現代においてもたとえば、ホラ、秋葉原で何年か前に無差別殺傷事件というのがあっただろう? ああいった連中は大勢いる。たとえ実行にまで移すやつは少ないとしてもそういったことを、やりたい、やってしまいたいと思っている連中はたくさんいるはずだ。そういった現象に対して『それでも人間か!』と言うのは俺は違うと思う。『それが人間だ!』と思うんだよ。兄弟を殺すし、母親を犯す。
そういうものなんだ人間は。戯曲にはそういう連中がいっぱい出てくる。だからって実際に舞台上で人を殺すことはできないよ。もちろん殺す必要もない。ただ、身体の状態として、殺せる状態じゃなけりゃ大嘘だ、と俺は思うんだ。下手な時代劇なんか見ていると思うんだけどさ、あんなんじゃ人は殺せないよ、って。あんな刀の振り方じゃ人は切れないんだよ。そこが大嘘じゃいけない。つまらない。優秀な歌舞伎俳優なんかが刀を持つと、こいつは実際に刀を持たせたら何人も殺してしまうんじゃないか? って思わせてくれる。そういう迫力がある。でも、あくまで演技としてなんだよ。だって「実際には殺していない」という意味ではそれはどこまでも嘘なんだからさ。だけど体の状態としては嘘じゃない。だろ? そう、たとえば『小便の真似』というのが俳優はちゃんと出来なけりゃいけないってことだよ。実際に舞台上で小便をする必要はないんだ。だけど、小便をする時に体がどんな状態になるか、それを知っている必要がある。そして小便を実際にはしないにもかかわらず、実際に小便をする時の状態を再現することができる、それが俳優の技術ってもんだろう?」
 
もちろん超訳ではあるが、概ね、そんなことを答えていた。この発言には大いに納得できる。とても面白い話だったし、理解しやすい。が、ここで西尾さんの問いと鈴木さんの答えとの間に微妙なズレがあったことも確かだ。事実、西尾さんは言語化し得ない感覚をなんとか言葉にするように、いろいろな言葉で鈴木さんに問いを続けた。さらに鈴木さんは答えた。
 
「武道や伝統芸能の動きに親和性が無い/持てないというのは単に教養不足という問題があるんじゃないか? 伝統的に形成されてきた身体運用に立ち返るのは何も懐古趣味ではない。現代に生きる我々の常識/日常から逸脱するためにこそ、古典/伝統への回帰が模索されるんだ。」
 
さらに西尾さんも尋ねた。
 
「身体に対する教養不足は確かにあると思う。けれど様々な伝統がある中で特に武道に見られるような非日常的な身体を、いわば異形の姿を、なぜ選ぶのか? 選ばなければならないのか? その必然性とはなにか?」
 
その非日常的な身体の所作/運用のことを危口さんが「アーティフィシャル(人工的)」という言葉で補足した。この問いは、僕もまた当事者として直面し、考えてきた問題だ。確かに、日常の手頃な身体では表現しきれない舞台上の出来事というのはある。では、日常の壁を突破するために俳優に
どんな負荷をかけてやればいいのか? それが問題だ。それに対して鈴木さんは「スズキ・メソッドによって」という答えを出した。また、バレエや歌舞伎も、それぞれが身体の方法論を形成する形でその問題に答えを出してきた。で、僕が思うに、もしかするとここ数年の演劇界はその同じ問いに対して、訓練ではなくアイディアによって対応してきたのではないだろうか?

ここでちょっと大雑把な形で、ここ10年ばかりの演劇界の動向を語ることをお許しいただきたい。もちろん、全然正確でも公正でもない分析だ。あくまで、僕からはこうも見えた、という程度の話として読んでいただきたい。
 
おそらく、ゼロ年代の演劇は90年代に進行した日常的な身体(いわゆる「現代口語演劇」的なるものを含めて)という文脈から一歩踏み出して身体表現を模索してきた。それは新劇的な、あるいはスタニスラフスキー的なリアリズムの身体ともまた違った美学によって裏打ちされていた。たとえば「ポツドール」は日常のリアリティを「青年団」よりも数段過激な形で徹底することで新たな身体を獲得しようとしたし、『三月の5日間』前後の「チェルフィッチュ」はコンテンポラリー・ダンスの方法と口語演劇を豪快に接続することでまた別の身体性を模索した。また「東京デスロック」はたとえば『マクベス』の上演において執拗に椅子取りゲームを繰り返すなど、様々な場面を通じて俳優の「疲れ」をあえて前面化し、演出の一部として利用した。さらに言えば「地点」は発声と発語の問題に身体と空間という切り口で正面から取り組み、虚構の内部で構築されるリアリティとは別の場所で、劇場空間において成立しうる身体感覚を、脱力とはまた違った仕方で模索してきた。

実際の創作現場で行われてきたそれらの演劇的な試み/アイディアは、もちろんゼロ年代とか90年代などという言葉で簡単に分岐点が作れるものではないだろうし、上記のような粗雑な状況分析は結論を焦りすぎているようにも思う。が、そういった自制心を強く抱きながらもなお、僕はそれらに共通するものとして「身体訓練の回避」という大きな流れを読み取ることができるのではないかと思う。その傾向はかつて「十年稽古すれば誰でも出来るようなことはやりたくない」と宣言した松尾スズキさんのスタンスにその萌芽のひとつを見出すことができるのかもしれないが、ともあれ、それらの試み/アイディアを「身体表現の方向に演技を拡大解釈しつつ、しかも身体訓練は行わない」と言い表すことができると思う。もちろん、90年代にもゼロ年代にもSCOTは存在し続けているわけだから、この定義があてはまるのは特に僕が念頭においたいくつかの集団に見られる小さな現象に過ぎないわけだが、僕にとってはそれらの動向はとても共感できるものであったし、だからこそ無視できない有功な試み/アイディアとして記憶されている。ちなみに、ひょっとこ乱舞/アマヤドリが行ってきた取り組みもまた、「身体を意識しつつ、訓練を回避する」という傾向を持っていたと言える。
 
僕と近い世代の演出家たちが進めたそのような傾向は、劇団員の減少、という組織の在り方と無縁ではないだろう。少なくともスズキ・メソッドのような特殊な身体訓練を前提とするカンパニーを作るためには、集団にある程度まとまった人数が必要だと僕は考える。理由はふたつ。ひとつには、基礎訓練を共有するためには大量の時間をそこに投資できる劇団員が必要だから。そしてもうひとつには、訓練を行う際には一緒にやってくれる人が必要だから、という極めて人間的な理由がある。そう、スズキ・メソッドの訓練は一人ではできない、と鈴木さんも言っていた。もちろん、原理的には可能なのだ。音楽があり、場所があればいつでも一人で訓練を行うことは可能だ。が、やはり現実的には隣りで一緒にやっている人間がいなければ、なかなかそれを継続することはできないものらしい。おそらくそれはバーレッスでも予備校の夏期講習でも同じことだろう。たとえプロ野球選手のような意識の高い集団であっても、「キャンプ」という形でわざわざ集まって練習をしなければ身体のトレーニングは捗らないのだ。つまり、集団というものは個人では成し得ないようなハードなトレーニングを可能にする、そういう機能があるということだ。これは劇団の今後を考える上で重要な論点になるだろう。
 
【スズキ・メソッドについての質疑応答 見ること、喋ること、そして触れること】
 
また、別の参加者からも質問が出された(質問者は失念……)。「スズメ・メソッドにおいては他人に触れる訓練が無いようだが、それは何故か?」というもの。鈴木さんの答え。
 
「スズキ・メソッドは体の状態を自分でチェックする訓練。自分を見て他人を感じる訓練だ。そして他人を感じるということや他人に触れるということは、台詞を発するという行為の中に含まれている。レヴィ・ストロースの言葉に『言葉には他者が刻印されている』というものがあるが(※引用元不明)、言葉の中には常にすでに他人への接触が内包されている。さらに俺の感覚で言えば「見る」という行為の中にも「触れる」が含まれている」
 
これは僕の考え方とは大きく異なる部分であり、興味深かった。上の発言に拠れば鈴木さんは「触れる」/「喋る」/「見る」を、かなり共通する部分の多い行為と見なしていると思われる(もちろん同一の行為ではないと判別した上で)。だとすれば、触れる時には黙るべきであり、喋る時には触れていない、つまり離れているべきである、とか、触れる時には見ない、見る時には触れない、という演技上のルールが導かれるのかもしれない。
「声は身体の延長」とはかつて宮城聰さんから教わった言葉だが、鈴木さんの説によればそこに追加して「視線は身体の延長」と言ってもいいのかもしれない。
 
このことのどこが僕の考えと大きく異なるのか。僕は「触れる」という行為にもっと特権的な何かを見出している。「触れる」は、「見る」や「喋る」とは大違いだと感じている。確かに「言葉の暴力」なんて慣用句が端的に表現しているように、言語/音声によって身体的な接触に近い「傷」を相手につけることはできるのかもしれないし、あるいは侮蔑的な視線でもって人を死に追いやることさえ可能なのかもしれない。だが、それでも僕はやはり声/視線を投げかけることと「触れる」の間には決定的な差異を感じる。なぜか。
 
そのことに答えるためには去年興味を持って少しだけ取り組み始めたコンタクト・インプロビゼーションについての説明をする必要があるだろう。……ええと、コンタクト・インプロが何か? という説明をここで行うほど僕はその道に詳しい人間ではないのでまたしても恐縮なのだが、簡単に言えばコンタクト・インプロとは、スティーヴ・パクストンという人物がひとつの起点になってアメリカで創始されたダンスの潮流で、身体の接触(コンタクト)を基本とした即興(インプロビゼーション)によって行われるダンスである。コンタクト・インプロはアメリカで生まれたのだが、なんでもそれが誕生する際には大きく東洋的な身体運用の方法、とりわけ日本の合気道の影響などがあったという。動きを実際に見ていると、確かに通じるものを感じる。

そこでは、すべてが接触(コンタクト)から始まる。「触れていないのに触れているような気がする」となってしまえばそれは「気功」の話であり、また別世界の話題だ。あくまでコンタクト・インプロ/合気道は身体の接触を重視し、そこから開始される相互作用の中に動きの根本を見出す。実際に見てみれば一目瞭然なのだがそこでは確かに、接触によってしか開始されようがないコミュニケーションの在り方が提示されている。それは言語とは異なる方法によってなされる身体コミュニケーションの有り様で、関係性の中に演劇の本質を見ようとする僕にとっては、とても特権的な表現だと感じられるのだ。
 
もしかすると、鈴木演劇には「喋るためには触れてはならない」という無言の掟があるのかもしれない。それはちょうど恋人たちがいちゃついた果てに「もう言葉はいらない」と囁くのと真逆の法則だと言えるだろう。


触れ合った恋人たちが黙ったあとには、身体主導によるコミュニケーション≒セックスが待っているわけで、そこでは言語/台詞が概ね排除され、身体によるコミュニケーションが支配的となる。鈴木演劇のテーゼは逆だ。つまり「言葉があれば触れる必要はない」と。電話やメールなどのコミュニケーション・メディアがこれと同様の発想に裏付けられていることは興味深い。ただ、鈴木演劇との違いは空間を共有しているかどうかという点に絞られる。しかし、その違いは決定的だ。鈴木演劇においては接触こそ重視されていないものの、呼吸や間合い、相手の表情や空気など、それこそ空間を共有していなければ絶対に不可能な、五感を総動員しての受/発信が求められているからだ。それはメールや電話にはない、身体によってのみ可能なコミュニケーションの形式だと言える。

人と人が近すぎればコミュニケーションは恋人的な「言葉はいらない」(あるいは殴り合い)という肉体の形式となり、遠すぎれは五感を総動員する必要のない限定的な情報のやりとりの形式をとる。つまり「空間を共有しつつも触れない」という距離感においてこそ、劇言語の世界を舞台上に出現させることができる、と鈴木さんは考えているのかもしれない。

余談だが、今回、利賀山房という場所で稽古見学をさせていただいたInternational SCOTの作品においては、7、8ヶ国語が入り乱れ、それぞれ別の言語によってアラバールの戯曲『建築家とアッシリアの皇帝』に挑んでいた。それはかつて僕が見た複数言語によるSCOT作品『リア王』の上演でも見られた手法で、俳優同士は相手の台詞を言語としては理解できないながらも、実に的確な間とタイミングで台詞を発し、コミュニケーションを成立させていた。

問題は自分の構想する演劇表現の中に接触という要素をどのように位置づけるかだ。台詞を喋るためには確かに接触は排除されなければいけないのかもしれないが、動機/目的を戯曲構造の中のみならず、相手役の身体に求めていくのならば、すべての動きは接触と
接触の拒否から、つまりは接近と逃走から成立しているとも考えることができるわけで、そのあたり、戯曲を書く上でも演出をする上でも自分の問題としてよくよく追求していきたい。


 
【他人が喜ぶをことを、自分の喜びにできるか?】
 
ここからは雑談的に書いていきたい。というより、そもそも鈴木さんの話が12月も今回も大いに雑談的であったので、ここまではむしろ断片的な話を無理矢理テーマ別に区切ってしまっているようなところがある。よってここから先は僕も勝手気ままに書いてみることとしたい。
 
今回、冬の利賀へ若手を招待してくれたことついては、鈴木さんの中でもいろいろな思いがあったのだろうと思う。冗談めかして「俺はあと3年ぐらいのもんだからよ」などと仰っていたが、七十を過ぎている鈴木さんが仰っているわけだから、単なる冗談でもないのだろう。誰かに何かを引き継ぎたいという思いがあったのかもしれない。何かを、ではなく、あるいはもっと明確な、演劇界の未来を、とか、利賀村の成果を、ということだったのかもしれない。もしかすると、鈴木演劇のその先を、ということだったのかもしれない。それは、わからない。ただこんなことを言っていたのが印象的だった。

「外国人は利賀村をおもしろがっていろいろ来てくれるけど、日本の演劇人がちっとも来てくれなくなっちゃった。演劇界の中にいても、その外側に向かって発信できるようにならなくちゃいけないのに演劇界の中ばっかりに終始するやつが多くなっちゃった。
だから、競馬番組に出て演劇の話をする寺山修司は偉かったんだよ。おまえらもちゃんと、がんばってくれよな。」

寺山さんの話や、別役さんの話、唐さんの話、宮城さん、平田さん、安田さん、加納さんの話などはどれも演劇の歴史をその目で見てきた当人のみが話せる内容で、とても興味深く拝聴した。

演劇人は演劇以外のことにも積極的に発言して、でっかいことを言って、それで演劇の外部の人を巻き込まなくちゃいけないんだ、っていう話は大いに賛成する部分があったので聞いていて大変心強かった。一方で僕は長いこと、芸術作品を作る人間が作品以外のことでメッセージを発したり、あるいは政治的な発言をしたり、自分の立場を明確にしたりすることは避けるべきなんじゃないかとも思ってきた。いや、今でも思っている部分がある。というのも、作品のつまらなさを作品以外の発言の立派さで誤魔化せるものではないからだ。が、鈴木さんはそんなことは関係ないとばかりに、正反対みたいなことを言っていた。

「演劇は市場原理だけでは回って行かないものなんだから、民間であれ、行政であれ、市場原理以外の支援が必要になってくる。その時、作品のすばらしさに感動してくれる人間だけじゃなくて、自分たちの理念に共感して、支援してくれる人を味方につけなきゃいけない。たとえば理念に賛同してくれている人間は『鈴木さん、今回の芝居はよくわかんなかったよ』と言いながらも、『だけどその方針でがんばれよ』と支援を続けてくれる。その可能性がある」と。

確かに、これはかなり大きな意味を持つことだ。実際、鈴木さんが利賀村に活動拠点を移した際には「東京一極集中じゃダメだ!」という理念をぶち上げたそうで、それに対していろいろな反発もあったけれど、それよりも大きな支援があったのだという。そういう、作品の外部で他人を巻き込んでいけるパワーを持たなくちゃいけない、と鈴木さんは言っていた。それは僕としても深く共感できることだったが、それに関連して鈴木さんが言っていた言葉はさらに興味深かった。ここからはちょっと話がややこしくなるが、お許しいただきたい。

「他人に喜んでもらうことが自分の喜びになったときに、ああ、やってよかったな、と人は自分の仕事に対して実感が持てるんだ。自信が持てるんだ。劇団員たちだってそういう風に感じて活動をしているんだよ。」
 
この発言は一般的な道徳律から言うと問題なく正しいと思える。が、これは政治思想としては明らかな共同体主義の発言であって、カント的な道徳律とは矛盾する発言だと言える。えーと、つまり、他人の喜びを自分の目的に寄り添わせてしまっている時点で、それは仮言命法であって定言命法ではない、ということなのだが……。もうちょっとシンプルに言えばですね、それは癒やし/共同体/親切といったような文脈で発想される幸福論であって、個人主義的な倫理観ではない、ということ。うーん。このあたり、僕はちっともカントの専門家ではないので曖昧な知識で恐縮なんだが、あえてもう少し書いてみよう。

カント的に言えば、たとえば「優しい嘘」なんていう発想はあり得ないそうだ。「嘘はつくな」という道徳律は定言命法として、つまりそれ自体を目的として構想されるので、「他人が嫌な思いをしないために、ここは我を曲げて嘘をつこう」などという道徳は否定される。いかなる状況であれ嘘は許されない。それがカントのスタンスだ。つまり他人の喜びと自分の道徳とは直接的な関係を持つべきではない、ということ。なぜなら、他人の幸福によって自分の道徳を変化させるような発想は、たとえそれがいかに優しさのように見えたとしても、結局は功利主義的な幸福追求に堕してってしまうからだ。要するにそれは、自分の倫理ではなく結果としての「快」を選択しているに過ぎないからカントにおいては批判される。らしい。
 
このことは僕の中で浅田彰さんがかつて震災後のシンポジウムで堂々と述べた「癒やしとアートは本来なんの関係もない」という発言とも響き合うものだ(このシンポもそういえば利賀で聞いたものだ)。ここで僕は、カントのいう定言命法としての道徳/倫理という考え方と、芸術家における美/おもしろの追求ということを類比として考えている。芸術家個人が目指す美/おもしろというものは、必ずしも観客に受け入れられるとは限らない。万人のために、なるべく多くの人がおもしろいと言ってくれるように、つまり最大多数の最大幸福を目指して功利主義的に創作を行う、などということは、芸術とはおよそ関係がない行為だ。少なくとも僕はそう感じる。
 

当然ながら芸術活動はもう少し孤独なことだ。孤立と言ってもいい。なぜって自分が最高に美しいと思ったシーンを他人が最高に美しいと感じてくれるとは限らないから。そうなんだ、自分の感動が誰かに共有されるとは限らない。「容易には接続されえない感動」というものは確かにある。その時、たとえ多数決で100対1で負けることになったとしても、自分の信じている美については譲ることが許されない、自分の信じている美を信じ抜く以外に進む道は無い、それが芸術ではないだろうか。だから芸術が偉くてエンターテイメントは低級だ、という議論をここでしているわけではない。それは単にスタンスの違いの問題だ。ただ、芸術の側に身を置いた谷崎潤一郎はあの変態性を貫かねばならなかったし、三島由紀夫はあの精神と肉体とが極度の緊張感と熱狂の中で融和するという夢を断念することは出来なかった。僕は個々の芸術家が表現を追求していく中で不可避的に訪れる孤立のことを考えている。もちろん、表現をすることは常にそういった孤立を他人の共感へと接続する努力ではあるのだろうが、究極のところでは自分の美学に頼らざるをえない場面が来る。たとえばハムレットにしてもラスコーリニコフにしても、隣に住んでいたらきっと迷惑なやつらだったろう。だが、そういった人たちを、価値観を、感じ方を、生き方を、描かざるを得ない、という場所に留まること。そこに劇団という芸術集団の核になっている何かが存在するのではないだろうか。その、他者を排除して触れることさえ許さないような潔癖性(それはヘンリー・ターガーが持っていたような閉鎖性とも通じるものだ)を強烈に秘めたままで、劇団という共同体はそれよりも外部の共同体と何らかの利益を共有すべく接続への努力を続けなければならないのだろう。言うまでもなくそれは明らかに矛盾した態度だが、その矛盾は決して解消されることのない矛盾として保持し続けていかなければならない。この諦念にも似たしぶとい接続への希求の態度の中に、僕は芸術というものの本質を感じている。

確かに、劇団を組織としてまとめ、その集団を外部と関係づけるためには、共同体としての外交力、政治力が必要になってくるだろう。それはつまるところ、自分たちのやっていることは意味がある、価値がある、という価値の体系を、行為そのものの中に見出すのではなく、自分たちのやったことの効果、作用、影響の中に見出すことを意味している。劇団という共同体を強く結束させて運営し、さらにそれを外部の共同体へと紐付けるためにはそういった論理も絶対に必要となってくるものだ。そのことは痛感している。おそらく、鈴木さんは、またSCOTはその二重の価値体系を自覚しつつ、そのどちらをも毀損すること無く、かつそれらを峻別しつつ活動を行う、という困難な道を目指したのではないだろうかと思う。

……と、最後は少し観念的な話になってしまったが、そんなところでこの利賀村で思ったことの記事を終えたい。これだけの長さを僕に一気に書かせてくれたのは、言葉にならないところでビシビシ伝わってきた鈴木さん、重政さんを始めとしたSCOTの皆さんや、あるいはアーツカウンシル東京のみなさんの、若手に対する過剰ともいえる期待に対して、僕は僕として言葉にならない感謝を抱いたからだ。改めて、本当に、このような機会を設けていただいてありがとうございました。おそらく、鈴木さんが届けたかった情熱は、あの場所にいた人間だけに限定したものではなく、これを読んでいるあなたにもその範囲が及ぶものだと信じて。
 


 

冬の利賀にて、日記風

  • 2014.02.12 Wednesday
  • 11:09
 

2月7日。午前11時少し前の電車に池袋から乗りこんで、僕は富山県利賀村へと向かった。埼京線から高崎線に乗り換えて「大宮」へ、新幹線MAXときで「越後湯沢」へ、さらに特急はくたかに乗り継いで「富山」へ、そこからまた二両編成の高山本線に乗り換えてようやく「越中八尾」へと到着。ここまででだいたい4時間半。そこから1時間ばかり、ただバスを待つばかりの時間があって、ようやくやって来たワゴン車タイプの小さなバスに揺られて4、50分もしただろうか、ついに豪雪の、厳冬の利賀村に到着した。
 


雪で半分隠れてしまった利賀芸術公園の案内板。


とにかく雪の量がやばい。が、10年に1度の雪の少なさ、なんだそうである。

昨年末に行われた「演劇人のための鈴木教室」の続編ということで、教室の参加者が鈴木さんからご招待を受けたのだ。「まあ、こっちに着いてからは面倒みてやるから、来るとこまでは自分たちで来いよ」との鈴木さんからのお達しで、参加者はおのおの深夜バスやら新幹線やらで利賀村にやってきた。

さて、利賀村3泊4日の旅だったわけだが、その間、何をするのかは事前に一切伝えられて居なかった。とりあえず、1日に2本しか出ない「越中八尾」からのバスに乗って利賀村に来い、ということだけが伝えられていて、あとは現地で指示があるとのことだった。バスが利賀村に到着するやSCOTの方々に迎えに来ていただき、あーだこーだと歓待を受けている内にあっという間に時間が過ぎ去ってしまった。今思い返してみると、なんだかうまい飯ばかり喰っていた数日間だったように思う。
 


右、渋い顔でオレジュを啜る伊藤全記くん。左、見切れているのは「声を出すと……」の山本タカくん、のはず。

着いた当日にはおかずが6、7個もあるような豪華な「給食」が用意されていて、翌朝は豪華なビュッフェ形式。クロワッサンやロールパン、食パン、カステラがあるかと思えば、納豆と味噌汁も用意されており、グリーンサラダ、トマト、照り焼きチキン、五目あんかけ、目玉焼き、ベーコン、うどん、つけもの、アボカド、なんだかチーズ的なものをオープン的なもので焼いたもの、などなどが出され、デザートにはパイナップル、ぶどう、グレープフルーツにキウイフルーツまで用意されていた。昼にはまた豪華な給食があって、夜はパーティーということでお酒まで振る舞われてのまたまた豪華な料理たち。3日目も朝は再びビュッフェで、昼は南砺市が開催するそば祭りにてそばや五平餅、カレー、ぜんざいなどを食べ、夜には食べきれないほどのバーベキュー! ……はっきり言って食べ過ぎた。写真を撮っておかなかったことが悔やまれるが、料理のひとつひとつが本当においしかったし、何よりSCOTのみなさんが過剰なまでの歓待をしてくださることが勿体ないやらありがたいやらでついつい調子に乗ってなんだかんだと言っては毎食、満腹になるまで食べていた。


そば祭りの様子。ここではしゃいだおかげで広田は熱を出すことになる。さもありなん。


合掌造りのための木材を運ぶ「牛ひき」という行事の再現イベント。カメラ目線の伊藤くん。

と、料理の話はさておき。人との出会い、触れ合いも豊かな数日間だった。いろいろと参加者同士の間で交流出来たことも楽しかったし、貴重なことだった。特に「悪魔のしるし」の危口さんは相当イカれた、知性的な人でこんな機会でも無かったらなかなか話すことも無かったろう。挙げればキリが無いがいろいろな出会いがあって刺激的だった。


上、危口さんがいつの間にか彫った謎の雪像。不気味である。
 
さて、いよいよ本題。鈴木さんの話、と、そこから考えたこと、は次のエントリーにしよう。
さらに雪景色の写真を何枚か。


 
これが本場の氷柱。2メートルクラスのヤバい奴。刺さって死ねる。



川にも雪が積もっている。奥は朝日を浴びて輝く山。


雪かきをしていない方の橋。ぎっしりと雪が詰まっていて押し鮨のような状態。


野外劇場の冬の姿。奥に見えるものは客席。


そば祭りに登場した雪の交番。こんな場所ですら交通安全を訴えている意味は深い(適当)


「人権イメージキャラクター人KENまもる君」。ネーミング担当者は極度の寝不足であった(嘘)

日本の演劇人の思想的な傾向について思うこと※微調整版

  • 2014.02.05 Wednesday
  • 11:05
これはいつかは書きたいと思っていてなかなか書けずにいたことだ。もしかするとこの文章によって少なくない人たちが僕の芝居を観に来るのをやめてしまうかもしれない、と思って何度も僕がこの文章を書く手は止まってきた。演劇人にとってそもそも観客席に座ってさえもらえない、ということはかなり恐ろしい。誰かがチケットを買って自分たちの芝居を観に来てくれるからこそ僕たちは演劇を行うことができるわけであり、それが絶たれることは演劇人にとって恐怖だ。
 
と、あんまり大げさな書き方をしてもいけないだろう。僕がここで書きたいのはそんなに過激なことではないはずだ。少なくとも僕はそう思っている。ただ、一言だけ念を押して強く確認しておきたいのは、他のどの劇団でもそうであるように、アマヤドリにおいても僕の思想信条と劇団員および公演に関わるすべての方々の思想信条にはまったく関係がないということだ。つまり、以下の文章はアマヤドリとしての公的な見解などでは全くなく、純然たる個人の考えだ。
 
日本の演劇界の思想には大きな偏りがある。それは当然といえばあまりに当然のことで、そもそも演劇界と左翼運動との間には切っても切れない深い絆がある。今、ここで日本演劇史と左翼運動史の関係を詳らかにするほど僕の知識は深くないが、プロレタリヤ文学と呼ばれる文学運動がかつて文学界を席巻したように、プロレタリヤ演劇というものも新劇の初期において決して小さくない力を持っていたそうだし、その後も演劇運動と左翼運動はある意味で連帯しながら進んできた側面があるのだろう。以前、僕の知り合いのスタッフの方が両親に演劇の道に進みたい旨を相談した際に、「左翼になるのか?」と質問されたという話もあるぐらいだ。そのご両親の認識はもちろん大いなる偏見ではあるが、一方の事実として「演劇≒左翼」というような短絡的なイメージを広く持たれた時代があったこともまた事実だ。(あるいは現在も?)
 
演劇人は自分の生活において多くの演劇人と関わる。下手をすると、演劇人ばかりと関わり続ける。もしもそのことが大きな思想的な偏りを育むことになるのだとすれば、僕はそこに大きな注意が払われなければならないと考える。たとえば「憲法9条」の議論にせよ、「脱原発」にせよ、「国旗国歌」の問題にせよ、あるいは直近のことで言えば「特定秘密保護法」にせよ、「安倍晋三」、「橋下徹」という人物をどのように評価するかという問題にせよ、国論を二分するような対立意見である。けれど、うっかり演劇人の意見にばかり耳を傾けていると、それはあたかも国論を二分する議論などでは無いかのように思えてくることがある。すでに「正しい」考えは明らかであり、にも関わらずわけのわからない好戦的な勢力が時代錯誤な主張を振りかざしているだけかのように、見えてきてしまうことがある。もしも多くの一般の観客から、演劇業界全体がある種の思想的な偏りを前提としているものだと誤解されてしまえば、国論を二分する議論のうち、もう半分のひとたちは始めから観客席に居ないという状況が生まれてしまってもおかしくない。僕は現状がそんなに極端なものだとは考えていないが、けれど、そういった危機感を持っておいてもいい、ぐらいのことは思っている。
 
ああ、こういった話は書くのが本当に難しい。僕がここで言いたいのは何も特定の主義主張に対して間違っているとか正しいとか、そういった種類のことではない。単に僕は演劇界の大多数の意見と国民の大多数の意見との間には、そのバラつき方、意見の分布の仕方に大きな隔たりが存在しているのではないか、ということを指摘したいだけなのだ。当たり前のことだけど僕は演劇をやっている人間だからなるべく多くの人が演劇に興味を持ってくれて、劇場の椅子に腰をおろしてくれることを望む。だから演劇をやっている人たちがすべからくある種の思想的な偏りをもっていると誤解されてしまうことは、僕のその望みと大きく反発するものだ。そうであってはならないと思う。それが僕のいいたいことだ。
 
この思いを僕が強く持つに至った直接のきっかけは野田地図の『エッグ』という作品を観たことだ。僕は昔から演劇人としての野田秀樹さんを深く尊敬してきたし、はっきりいって彼は、憧れていると言ってもいいぐらいの存在だ。そのことは今も変わらない。けれど『エッグ』で描かれていた歴史観は僕にはあまりに極端な偏りを感じさせるもので、率直に言って観劇した際にはその思想的偏りの激しさに驚きを禁じ得なかった。
 
観ていない方のために少しだけ僕が問題にしている部分について説明をしておこう。あの劇において野田さんは明らかに日本のいわゆる「731部隊」を念頭におき、あたかも日本軍がガス室を使って当時満州に住んでいた地元の人たちを実験と称して殺した、かのような描写を行った(と、少なくとも僕はそう感じた)。皮肉なことにそのガス室のシーンはとても美しく演出されていたのだが、僕は観ていて「大丈夫なんだろうか?」という不安を強く持った。問題が拡散するといけないので、話を「ガス室」に限定しよう。僕の歴史認識では少なくとも「ガス室を使用しての虐殺」というのは事実認定された歴史の定説ではない。「731部隊」については今も昔も大いに議論があり、特に話を「ガス室を使用しての虐殺」にまで絞ればそれが歴史的事実であるかどうかはかなり疑わしい所だと思う。
 
そのことを野田さんがある種の覚悟をもって劇にすることは大いに結構だ。それは作家の責任においてなされたのであればいい。ここで万が一にも誤解の無いようにいい添えておきたいが、僕は彼の訴えたかったことが「反戦」という主張であることは確かだと思うし、それに反対するつもりは毛頭ない。それに僕は「731部隊による人体実験は無かった」と主張したいわけでもない。そんなことは、わからない。ただ、わかるのはそのことを断定的に述べるためにはとてつもない量の詳細な資料研究が必要になるだろうということだ。思うに野田さんはあまりに歴史的事実として語るには意見の分かれている事柄を、あたかも確定的事実かのように劇の素材にしてしまったのではないか? そして、そのことは彼の作家としての責任(いや、無責任)の問題なのだから一旦脇に置いておくとしても、それに対してあまりに演劇人および観客側の反応が鈍すぎやしないか? ということに疑いを持ったのだ。
 
僕は当然、野田さんは盛んに政治的な批判に曝されるのだろうと思った。そのことを覚悟なさっているんだろうと思った。が、当時において事の真偽を議論する声は少なくとも僕の耳にはほとんど聞こえてこなかったし、「政治的偏り」を批難する言葉は聞こえてこなかった。単に僕がそういった批判を見逃したり聞き逃しているだけなのかもしれないが……。僕は心配した。多くの観客があの劇で描かれた「ガス室を使用しての虐殺」を歴史的事実として受け入れてしまうことを。そのことに関してはもっともっと注意深い議論がなされるべきだからだ。しかし、もっと心配だったのは、こんな想像はしたくもないが、もしも万が一、野田さんが歴史的な事実への認識が多少あやふやだったとしても、日本軍を悪く書く限りにおいてはそんなに批判はされないだろう、といったような大雑把な考え/甘えをチラとでも心に抱き、また、そのことに対して観客/批評家/同業者の側の無風が、まんまと彼に成功を収めさせてしまったのだとしたら、そこには大きな危険を感じる。
 
昨今、「ネトウヨ」が話題にされ、「ヘイト・スピーチ」が話題にされ、日本の右傾化に対して警鐘を鳴らすような言説を盛んに耳にする。そのことは良いと思う。大いに論じられるべき問題だし、批判されるべきことがたくさんある。けれど、そもそも警鐘を鳴らしたい当の相手が観客席に始めから座っていないのだとしたら、どうだろう? そういった批判は大きく力を失ってしまうのではないだろうか。僕はそれを恐れる。
 
哲学者の萱野稔人さんの議論によれば、近年の日本に見られるようなナショナリズムの高揚、いわゆる右傾化/保守化の流れは何も日本に固有の現象ではないようで、移民によって仕事を奪われてしまった人々による極端な排外主義というのは、フランスやイギリスでも同様に見られる現象なんだそうだ。と、すれば、少子高齢化によってますます海外からの労働力に経済を依存せざるをえなくなっていく日本において、ますます右傾化したナショナリストたちはその勢力を増やし、盛り上がっていくだろうという見方が成立する。現にそういったことが進行しつつあるようにも思える。
 
そういった状況の中にあって、演劇界の持っている言葉や思想が旧態依然としたいわゆる戦後左翼的なレベルに留まるのだとすれば、進行し続けるナショナリズムに対して真に有効なアンチテーゼを提唱しえないのではないだろうか。「政治のことはよくわからないけど、なんとなく周りの人のことを聞いているとそうなのかなと思う」というのが、大多数の人間の政治的イシューに対する向き合い方だろう。それはそれで構わない。みな、それぞれの暮らしがあるだろうし、そんなことばかり考えていられる立場に無い人が多く存在するのは当然だろう。だからこそ、演劇人があたかも無前提にナショナリズムを否定し、「愛国心」という言葉を「戦争肯定」の文脈でしか捉えられないのであれば、進んでいく右傾化に対して何ら有効な警鐘を鳴らすことなど出来はしないのではないかと思う。
 
演劇界に巣食っている内省なき反権力志向はいろいろな意味で有害だと僕は思う。たとえば官僚や行政の人たちと積極的に対話の場を設け、気の遠くなるような交渉をしている演劇人に対して、演劇の内部から「権力に迎合しやがって」式のくだらない批判を耳にしたことも確かにあるからだ。「権力なんかクソ喰らえ!」と威勢がよいのは結構だ。が、ではなぜ行政に対して公的助成を申請し続けるのか? その論理的な矛盾をもっと深く自覚するべきだと僕は思うし、僕たち舞台芸術に従事する人間は純粋な市場原理によってではなく、適切に運用された公権力によってこそ文化芸術が助成を受けることを望んでいるはずだ。僕たちは、舞台芸術になんて一切触れない人たちに対してさえ、そこには税金が投入される価値があるのだと証だてなければならないはずだ。日本が国民国家(ネーション・ステート)であり、その主権が国民にあると信じるのならば公権力に対してもっと高いレベルの批判がなされるべきだろう。それは自分たちのことなのだから。「官僚なんかクソくらえ!」という批判も時に応じてなされるべきだろうが、東京大学時代に一緒に演劇を作っていた人たちの中には現役の官僚として一生懸命働いている人たちが複数いるのだから、僕としては呑気にそんなことは言えない(←エリートアピール)。僕は知っている。試験に受かって官僚になるのはそれなりに大変なことだし、僕だって勉強をして試験に受かればそういった立場になる権利もあったのだということを。そして僕にはそういった根気が微塵も無かったのだということを……! って、あれ? これじゃまるで僕が勉強する根気が無かったから演劇の道を志したみたいじゃないか、違うわい、こちとら望んでやっとんじゃ、官僚なんかクソ喰らえ、権力の犬どもが! って、おや……、えーと、なんだか興奮してちょっと議論が拡散してしまったな……。
 
ともあれ、僕は演劇界の内部にもこういう人間がいるのだということを演劇界の内外の人に知って欲しくてこれを書いた。一昨年の総選挙で自民党が大勝した際に演劇人の知り合いが、「どうしてこういう結果になるのかまったくわからない。私の周りには自民党を支持している人なんか誰も居ないのに……」という感想をもらしていて、いや、もしも本当に「わからない」のだとしたら、観客席に座るであろう多くの人たちの心理も「わからない」と言ってしまっているに等しいのだから、そこは「わからない」で思考停止するのではなく、「どうしてそんなにバカなのよ」と蔑視するのでもなく、冷静に状況を分析する力をこそ磨くべきなんじゃないかしら、と思ったのだ。当然だが僕は、自民党は支持すべきすばらしい政党だ、などと言っているのではない。ただ、「戦争をやりたくて仕方のない人達が安倍自民党を支持している」といった程度の理解しかないのでは、あまりに認識が粗雑だと言っている。平田オリザさんが散々強調するように「対話」こそ演劇において、また現代において重要な技術なのだとしたら、そのためには自分と異なる意見をもった他者を理解/把握する努力が必要だし、反対意見の側に立つ人間の知性を認める態度が必要だろう。広く、対立する意見の双方を理解する力をもってこそ、その間にある矛盾や越えられぬ壁を描き出すことが可能になる。僕はそう信じている。



※後日追記:『エッグ』についてはもっとはっきり言わなければなるまい。僕はあの作品における歴史の扱われ方には作家としての良心を感じない。万が一、再演をするのであればどこからどこまで史実であり、どこからが単なる野田さんの空想なのかを明らかにすべきだ。あの問題はそのぐらいデリケートな素材だと思う。たとえば、だ。ヴェトナム戦争において米軍がどのように振る舞ったか、韓国軍がどのように振る舞ったか、ということを演劇にしようと思うのならば、史実の定かでない部分について憶測や空想でフィクションを作ることがいかに危険なことか分かるだろう。他国の軍隊が犯したかどうかわからない戦争犯罪を憶測で糾弾すべきではないのと同様に、自国の軍隊に対しても配慮がなされるのはあまりに当然のことだ。

 

20年後、小劇場演劇は可能か?(微調整版)

  • 2014.02.04 Tuesday
  • 08:13
先日、長いこと王子小劇場の運営を行っている玉山悟さんと話をしてきた。僕はその話し合いを通じてとても多くの新しい知見を得たんだけど、それは僕にとっては非常に重要な問題を多くはらんでいたし、きっと多くの演劇人にとっても小さい問題ではないだろう。と、いうわけで、以下、まとまりはないと思うけど、その場で玉山さんから提起された問題についての備忘録的なメモを残しておきたい。当然、文中には多くの玉山さんの発言を引用するが、それらはすべて僕が聞き取った言葉の数々であり、聞き違い、誤解、僕の恣意的な解釈などが多く含まれることは予めご了承をいただきたい。

まず、本題に入る前に僕と玉山さんの関係について少し書いておこう。僕がはじめて玉山さんに会ったのはアマヤドリの前身、「ひょっとこ乱舞」が2003年に第7回公演『鼻殺げダックス』を上演した時のことだ。
玉山さんはまだ活動歴の浅かった全く無名の僕たちの公演を観に来てくださって、その公演のあとで「ぜひうちでやらないか」と王子小劇場での公演を打診してくれたのだ。その後、ひょっとこ乱舞は何度も王子小劇場で本公演を打つことになり、僕にとっておそらく最も多く公演を打った劇場は王子だろうと思う。

玉山さんは当時から自分で観て面白いと思った団体に声をかけ、公演を打たせ、育てていくという活動をずっとなさってきた。まあ、好きなんだな、小劇場演劇が。「ポツドール」や「シベリア少女鉄道」、最近で言えば「ロロ」や「犬と串」など、劇団の創生期に
王子小劇場がその活動場所を提供した団体は多い。

さて、話の内容だ。結論から言えば玉山さんは2、30年後、あるいは50年後の小劇場演劇に対してある種の深刻な不安を抱いているという。極端な言葉として、「もしかしたら僕は、王子小劇場と、それに加えて小劇場演劇というジャンルそのものを自分の目の黒いうちに看取ることになるのかもしれない」ということさえ言っていた。それは一体、どういう意味なのか? 以下、主に東京の小劇場についての話に話題は限定されてしまうが、そのことについて書いていきたい。

【小劇場演劇の歴史はたかだか50年ぐらいのもの】

何をもって小劇場と呼ぶのか? という定義を明確にしておかなければその歴史が始まった年代を特定することはできないが、ここではなんとなく小劇場演劇というものを、「300席以下の劇場で公演を行う、有志の人たちが主体となって自己資金を中心として運営される演劇活動のこと」ぐらいのことだと思っておいてもらいたい。「200席」と設定するか「500席」と設定するかは、ここでは大した問題ではない。

さて、その小劇場演劇の歴史というのは実は50年ぐらいのものなんじゃないか、という玉山さんの指摘。これは実際に小劇場を見続けてきた人の言葉として重みがある。玉山さんの言わんとしたことはおそらくこうだ。

当然ながら日本には能や狂言、歌舞伎や浄瑠璃、落語に舞踊と少なくとも数百年以上に渡る舞台芸術の歴史があるわけだが、いわゆる近代劇が導入されたのは明治以降のことであり、そこからいわゆる新国劇、新劇の時代があって、1960年代に状況劇場や黒テントを始めとするいわゆるテント芝居の演劇人たちが活躍する時代を経て、ようやく今のような小劇場演劇の形が作られた。だから、小劇場演劇の歴史ってのはそんなに古いものじゃないんだよ、と。

確かに、自分たちで劇団を立ち上げて劇場を借りて公演を打つ、という小劇場演劇のスタイルが確立されたのはそんなに古い時代の話ではないのだろう。ここで肝心なのは「演劇が滅びることはない。でも、小劇場演劇が滅びる可能性は十分にある」という認識だ。僕も、「演劇には2000年の歴史があって……」なんてしたり顔をして大きなことをしばしば口にするが、こと小劇場に限って言えばその歴史は驚くほど浅い。

【劇団の寿命】

小劇場演劇はその主体を主に若い世代が担ってきた。もちろん高齢者の俳優もいれば観客もいるわけだが、実際に小劇場の中核を担ってきた/いるのは、2、30代の若い作り手と観客であるという主張には、一定の真実があるだろう。で、常に若い人たちが参入し続けるこの業界においては劇団の寿命ってものがとても短くなるという。玉山さんいわく、

「たとえば犬の年齢ってあるじゃない? 犬の1年は人間で言うところの何年に相当する、とか。そういう論法でいうとさ、小劇場の劇団の年齢っていうのは旗揚げまでが10代後半で、第2回公演を打ったぐらいで二十歳。で、そのあと、急速に年を取っていって結成20年の時にはもうれっきとした老人になっているんだよね」

この言葉には真実味を感じる。アマヤドリ(ひょっとこ乱舞)は2001年の結成だから今年で14年目(数えやすいね)。もはや小劇場演劇の中では少なくとも「最若手」とはみなされなくなっている。当然、燐光群や流山児事務所のような息の長い劇団も存在するが、小劇場の劇団が結成20年を迎えることは稀だ。

ではなぜ結成20年を前にして多くの劇団が消えるのか? それぞれの劇団がそれぞれの理由を抱えているだろうが、たとえば就職や妊娠、家業を継ぐなんていう個人的な理由、あるいはメンバーがそれぞれ別の活動場所、具体的には商業演劇やテレビ・映画業界に活動の場を移す、などのことがあるだろう。ともあれ、とても早いスピードでこの業界の人材は入れ替わり、多くの劇団が蓄積した技術や演技論・集団論・公演ノウハウなどを誰に伝えることなく消えていく。つまり、小劇場演劇には伝統が育たない。これがこの文化が今後残っていけるかどうかをわける上で大きなポイントになるだろう。伝統から切り離された場所で大した文化が育つとはどうしても思えないからだ。

ある意味でこれは「モーニング娘。」みたいなものなのかもしれない。常におどろくほど若い新人が供給され続け、三十代を前にして若きベテランたちはその場を去っていく。最近ではすでにAKBの第一世代も引退が始まっているが、二十代前半で引退、なんてことがアイドル業界では当然のように起こる。(加護亜依はまだ25歳だっていう驚きだ) AV業界ほどではないが、小劇場演劇の世界も急激な早さでベテランになり、寿命を迎えて死に至る。良いとか悪いとかではなく、これは小劇場演劇のひとつの個性なんだろう。

【20年後、誰が観客席に座るのか?】

現在、小劇場界を賑わしている「若い世代」もやがて年を取り、次々に新しい世代が参入してくる。が、
言うまでもなく日本は少子高齢化の時代を迎えている。問題はこうだ。「2、30年後のその時、観客席に座るべき若い世代は本当に存在するだろうか? よく考えてご覧よ、西巣鴨創造舎だって水天宮ピットだって花伝舎だって、元は学校施設なんだよ? そりゃ子供も居なくなるよ」確かに少子化の恩恵に預かって我々演劇人は安価に使用できる稽古場を手に入れた。が、小学生の減少は十数年後の二十代の減少と直結する。玉山さんは言う、

「こんなにとんでもない数の劇場が東京にあって、それがずっとずっと予約でいっぱいです、なんて状況はもう長くは続かないよ」

劇場運営に長く携わっている方の言葉としてリアリティのある発言だ。この問題はいわゆる労働者人口の減少として様々な角度で論じられているし、その議論の中ではよく、もっと移民を受け入れて労働者人口を確保する必要がある、みたいな話も論じられているのを目にするが、こと小劇場演劇に関してはこれは有効な対策とはならないように思う。冷静に考えて、日本語をよっぽど高いレベルで理解できる人でなければ英語字幕など滅多につくことのない東京の小劇場演劇を楽しむことはできないだろう。例外はあるだろうが、あくまでそれば少数の例外に留まると思う。

さて、80年代のいわゆる「小劇場ブーム」のころには総動員が1万人を越える小劇場劇団が複数存在していたらしいのだが、そのころと比較すると、現代の劇団は間違いなく動員力が落ちている。たとえばアマヤドリは2000人を越えたことが何回かある程度で、結成以来一度も3000人の大台には乗っていない。1万、という数字はとてつもなく遠く感じられる。おそらく80年代当時の感覚で言えば、「1万にすら届かない」ということになるのだろうか。ともあれ小劇場界全体の動員規模が縮小傾向にあることは明らかだ。


もちろん原因は少子高齢化だけではない。コンテンツ自体の弱さ、まあ、つまりは面白くない、ってことが観劇人口を減らしている要因であることは間違いない。それは当事者として真摯に反省をしてもよい。ハイ、精進します。まさか「動員さえ多ければよい」などという暴論に与するつもりは無いが、それでも劇団を運営していく上で観客動員数の減少は無視できない課題だ。

少なくともこんな風には言えるんじゃないだろうか−−20年後の日本に、たとえば80年代に1万人を動員していたのと同じぐらいおもしろい劇団があったとしても、決して同数の観客動員を得ることはできない−−。これは劇団が生き残れるかどうかを決定しかねない重大な変化だ。

【小劇場へのいびつな愛情】

ちょっと矛先を変えて、ではどんな人達がどんな思いで小劇場を観に来ているのか? ということについても考えてみたい。なにせ僕の目の前に座っているのは、そういった分析にはうってつけの観劇好きの人物なのだから。まず、あれこれ話をしてみて強烈に感じたのは、玉山さんは本当に小劇場演劇が好きなんだな、ということ。とにかくその情熱には頭が下がる思いがした。彼が語った小劇場の魅力について、思い出しながら少し書いてみよう。

「僕からいわせると、ある程度有名になってきた劇団を、ある程度名の通った劇場で観る、なんていうのは何がおもしろいの? って感じなんだよ。あのね、まだ誰も知らないような劇団をすっごく小さな劇場で観て、で、大概は、んーつまらん! ってなるんだけど、それでもたまに来る、これはなんじゃああ! って作品に出くわしたいわけだよ。そこで大喜びしたいわけ。でさ、劇団ていうのは最初全然おもしろくないってところから始まって、あ、なんかおもしろいかもしれない、ってなって、オオ! すごい傑作だ! ってなる、そういうおもしろさの曲線がグーンと伸びる時期がおもしろいわけじゃない? それなんだよ、観たいのは。だって大抵の劇団はある程度の段階まで作品の質が上がったら、そこから先はそう簡単には伸びないわけだからさ」

と、まあ、僕の主観が大いに入った聞き取りだが、概ねそんなことを言っていた。その話を聞きながら僕も、確かにあの劇団もそうだった、なんて思うことも多かった。聞きながら、おそらくそのスタートダッシュの時期はとっくの昔に終ってしまったであろう劇団の主宰者としては複雑な思いもあったわけだが、それはまた、別の話。

玉山さんによると、ある程度知名度が上がってきてしまうともうその劇団への興味はそんなに持てないらしい。もちろんその背景には「動員数が増えてきた劇団は王子で公演を打ち続けない」という立場上/仕事上の興味の喪失もあるのだろうが、それ以上に感じたのは若くて無名のやつらのエネルギーに対する彼の偏愛だ。たとえばそれは、ご当地アイドルに対しての偏愛、みたいなものなのかもしれない。自分の推しているメンバーが選抜メンバーになってしまったら「もういいや」と、なってしまうような感覚とでも言おうか……。いわば先物買いの心理だ。

僕はそういった種類の好奇心を否定するつもりはない。というか、むしろそういう人がいることを本当にありがたいとさえ思う。だって「いい俳優を観たい!」と普通に考えれば、現代日本の環境の中ではまず映画やテレビを見るなりして映像メディアにあたるのが普通だし、あるいは大劇場に足を運んだり、有名演出家の作品を観てみたり、もっとずっと「ハズレ」を引く確率の低い方法を選ぶことだって出来るわけだから。そう、小劇場演劇はそんな非合理的な偏愛によって支えられている。そういった心理でも無ければ、知り合いのいない、名前も聞いたことのないような劇団を好んで観る発想なんて、まず浮かぶまい。

【小劇場の、その先】

ここからはエントリーを改めてまた書いてみてもいいのかもしれない。なるほどそういう状況なのはわかった。で、どうするのか? という話。ここでは、なにも玉山さんだって指をくわえてその状況を見ているわけじゃない、という話を少しだけ。具体的な彼の取り組みとしては「とにかく旗揚げしやすい環境を作りたい」ということを言っていた。ちゃんと理由がある。

「やっぱり音響があって照明があって装置があって、そういう劇場で公演を打たなきゃダメなんですよ。カフェ公演をずっとやっていてもわからないことはずっとわからない。だからなるべく若い人たちが、たとえば王子とかを使って旗揚げ公演を打てるようにしたい。そのための応援をしたいんだよ」

うーん。まったく正論だ。そしてなんてありがたい話なんだろう。だけど、一方で確実に旗揚げをする劇団は減っていく。いわば、激しく人材が入れ替わるこの業界に常に送り込まれてきた大量の血液も、これからは確実に減っていってしまうのだ。小劇場演劇はこれからも発展し続ける! と呑気に考えていられない状況が確かにあり、それはおそらく、当分の間、続く。

では、どうするのか? ここから先の話はいくつかに分かれて展開されるべきだろう。まずは、

「小劇場演劇の作り手を確保するためにはどうするか?」
「観客を確保するためにはどうするか?」

という人口減少、あるいは趣味の多様化による相対的な演劇人口の減少に対して有効な対策を見つけなければならない、という論点。そして、

「小劇場演劇で培ったあらゆる技術を次の世代に伝えていくためにはどうするか?」 

という論点。もう少し具体的に言えば、継承するための場をいかに構築していくか、ということをもっと具体的に考えなければいけないと思う。僕は一応、劇作家協会の会員でもあるし、演出者協会の会員でもあるんだが、驚くべきことにこれらの協会もほんのここ数十年で作られたものらしい。劇作家協会の忘年会で設立当初のことを坂手洋二さんから随分と聞かせていただいたし、先日読んだオリザさんの本でも、「今度、劇作家協会というのを作ることになりまして……」なんて記述に出くわした。てっきり僕はこういった団体にはもっとずっと長い歴史があるのかと思っていたら、それもほんのここ数十年の出来事に過ぎないのだ。直接の先輩たちが作りあげたこういった対話の場を私たちはいかに継承し、発展させていけるのか? この問題意識はさらに次の問題へとつながっていくだろう。すなわち、

「日本演劇界の最高峰の作品は誰がどこで作るのか?」

ということ。
とにかくこれらの問題について僕は当事者としてなんらかの答えを見つけ出さなければいけない。たとえ自分がその場所に居ないのだとしても。また別の問題として個人的には、

「高齢劇団になりつつあるアマヤドリを今後どうやって幸せな20年目に導いていくのか?」

ということに僕は直面しなければならない。(もちろんさらにその先も人生は続く可能性が高いのだが) 玉山さんは言っていた。

「劇団が幸せな20年目を迎えるためにはどうしたってある程度の成功が必要なわけですよ。もっと具体的に言えば動員が必要なわけです。それが経済的にも精神的にも作り手が創作を続けていける環境を用意するわけです。劇団員もいつまでも食うや食わずではやっていけないわけだからね。それで僕は、少なくとも幸せな20年目を迎えるためには瞬間最大風速で1万の大台を突破するぐらいの動員力が必要になってくると思うんだよ」

まったく同意する。今までの考え方でいくならきっとそうに違いない。(そしてこれはあくまでも東京の演劇シーンを念頭においた話だということ再度確認しておく)しかし僕たちは当面の予想として動員が1万人を越えることは、まずないわけで、だからもっと別の方法を、幸せに至るための別の回路を発見/発明しなければならない。残された時間はそんなに多くないのかもしれないが……。

と、そういったわけで、このことについてはまたエントリーを改めて書いていこうと思う。とくに最後の方の複数の大きな問いについても、現在の僕にまったく考えがないわけでもないから。いずれにせよ、悲観せず、しぶとく、だけどリアリティをもって考えて続けていくしかない。一片の希望はある。それは、たとえ今みたいな形の小劇場演劇が無くなってしまうんだとしても、それでも演劇は続いていく、っていうこと。だとすれば、その先の未来について、僕たちは考えることができる。

 

「演劇人のための鈴木教室」に参加して思ったこと

  • 2014.01.22 Wednesday
  • 16:58
【はじめに】
 
2013年、12月もまさに終わろうかという年末に吉祥寺シアターにて「演劇人のための鈴木教室」なる教室が開講された。とても学ぶところの多い教室で、演劇創作にまつわる根本的な問題について考え直すとてもいい機会をいただけた。と、いうわけで以下、演出家・劇作家・俳優・劇団主宰、というなんだか分裂気味な立場でそれに参加した一個人としてあれこれ思ったことを書いてみようかと思う。まずはこの教室を企画してくださった多くの方々、アーツカウンシル東京のみなさん、SCOTのみなさん、そして鈴木忠志さんに深く感謝を捧げたいと思います。本当にお忙しいところありがとうございました。

【「演劇人のための鈴木教室」とは何か?】

さて、実際に教室で何が行われたかという話をはじめに少し書いておこう。時は2013年の12月23日から25日の3日間、所は先述の吉祥寺シアター、ホール内。18時から21時前後という大体3時間に渡って3日間の「授業」は行われた。「授業」といっても、厳密にトピックを定めてそれについての情報伝達がなされたわけではなく、客席に座った参加者と相対した鈴木忠志さんがざっくばらんに、縦横無尽に演劇についてあれこれ話をしていくというスタイル。その途中で、同じく吉祥寺シアターで12月26日に本番を控えていたSCOT公演『シンデレラ』に先立つ舞台稽古の公開と、参加者との質疑応答などが繰り広げられた。

 
もちろん、とても具体的な学びがいろいろとあった。たとえば、「座組が20人を越えるとなかなか演出家の目が行き届かなくなる」とか、「台詞を言う際には、どこで呼吸をするか? という問題を俳優に考えさせろ」とか、挙げていけばキリがない。しかし、そういった実践的な多くの知識よりも、「芸術家として生きるとは何か?」という大きなテーマについて、より多く考える種を学んだように思う。

これから、特に心に残ったことについて書いていくが、何せ鈴木さんの著述からの引用ではなく、聞き取りからの引用となるため、正確に鈴木さんの意図が汲み取れていない箇所が多く存在するだろうと思う。が、むしろそのような誤解を通じてかえって僕の問題意識は顕在化するだろうとも思うので、以下、広田はこのように鈴木さんの授業を受け取ったのだ、という文章として読んでいただければ幸いだ。




【人類的な視野に立て】
 
まず鈴木忠志さんの創作/人生における態度で首尾一貫していると感じたのは、常に人類的な視野に立っている、ということ。鈴木さんが創作活動を行うとき、その対象として想定されているのは目の前の観客に留まらない。横軸として想定されているのは日本の演劇界ではなく、全アジア、そしてヨーロッパ・アメリカを含めた世界の演劇界であり、縦軸としては2500年以上に渡るヨーロッパ演劇の歴史としてギリシア悲劇から現代劇までをも想定し、さらに日本の歌舞伎、能、文楽、義太夫、日本舞踊といった舞台芸術の歴史をも視野に入れて、それらの芸術との比較の中で自分の創作を見据えている。特に印象的だったのは「アングロサクソンにひとあわ吹かせたい」という言葉だ。その志の高さが鈴木さんを支えてきたのだろう。
 
鈴木さんは我々に対して、お前たちも自分の活動が人類的な視野に立って価値あるものかどうかを問え、と挑発されていたように思う。鈴木さん自身が実行してきたであろうその態度にとても説得力を感じたし、それと比較した際に現在の自分の視野の狭さを思って大いに反省するところがあった。
 
鈴木さんのすべての話は、人類的な視野に立って有益か否か、という厳しい基準に則って成り立っていた。この「演劇人のための鈴木教室」を実行していることもその一例と言えるだろう。ご自身の存在を歴史の縦軸の中に位置づけ、次の世代のために自分が先行する世代から受け取ったものをちゃんともらさずに引き継いで行こう、そしてそれを発展させていってくれ、という強いメッセージを感じた。
 
【交流に興味はない、人間に興味がある】
 
国際的な演劇フェスティバルなどについての話で印象的だったのは、「文化交流に興味があってフェスティバルをやっているわけじゃない。ただ、人間に興味があるだけだ」という言葉。僕も少ないながらも海外の演劇人と交流する機会を持ったことがあるが、ともすれば仲良くなることがひとつの目的になりかねない国際交流の現場において、人類的な視野に立って価値のある芸術を目指すことは非常に重要だ。厳しい審美眼でもって他者の仕事を判断する時にのみ、国籍や人種を越えて真に付き合うべき芸術家と、そうでない人たちとの峻別が可能になるだろう。そういった厳しい目でお互いの芸術を見つめ合った時にだけ、意義のある文化交流なるものが育まれるのだと思う。

【演劇は政治的であることから逃れえない】
 
政治についての話も、鈴木さんの歩んできた人生を考えるとき、とても説得力のある言葉として響いてきた。自分たちが社会に対して影響を与えうる、価値観の変更を要求するようなインパクトのある作品を作りたいと望むのであれば、その活動は必然的に政治的にならざるを得ない。そんな風に鈴木さんは考えているようだ。
 
では実際に何をどうすればよいのか? ひとつには、自分たちの信じる価値観/ライフ・スタイルを成立させ、その力を見せるということ。これは今回いただいた本の中にあった言葉だが、鈴木さんにとって「見せることはひとつの戦いであって、楽しませるというようなことじゃない」のだという信念がすべての出発点になっているのだろう。
 
鈴木さんは「楽しませる」というエンターテイメントを越えて、「見せるという戦い」を戦って来た。そして、そのために必要なものはすべて自分で調達してみせる、という断固たる態度を持っていた。たとえばこの国の芸術助成のあり方についても、自分を含めた多くの演劇人が、やれヨーロッパと比べて見劣りするとか文句を言ってしまうことに対して、鈴木さんの問題意識は「助成システムをどうするべきかについての具体案を提示すべく、演劇人の中から政治家を輩出できなかったことを我々は反省しなければならない」というところにある。そういった発想を私は持っていなかったのでまさに目が開かれる思いだった。主導権を取るべきなのは常に我々の側なのだ。どこからともなく文化芸術について深い理解をもった役人が現れて芸術界の変革を行ってくれるなどという妄想は捨て、主体的に行動していくことが必要だと感じた。変化は自然発生的に起こるわけではない。望むべき変化を起こすために芸術家が本気になって動けば、行政の中にもそれに呼応してくれる人が必ず居る。そのことを信じてすべての交渉は行われるべきなのだろう。
 
鈴木さんは富山県で、静岡県で、あるいはシアターオリンピックスを実行に移す中で、多くの国の多くの政治家たちと渡り合い、どうあるべきか、という文化行政についての具体的な提言を行ってきた。その意志を実際に具体的な形にしてきたところに鈴木さんの凄さがある。
 
【演出家と建築家は似ている】
 
演出家と建築家の比較についての話も興味深かった。劇作家や小説家は目の前には存在しないものや、観念から創作を行うことができる。画家もまたそうであろう。だが、演出家と建築家は違う。常に実在する「素材」を前にしてしか創作することが出来ない、だからこの二つはとても良く似ている、というのだ。大量の石をスポンジで支えるような建築は力学的にありえないわけであって、建築家は常にそういった実際上の制約の下に創作を行う。演出家もまたしかり。常に目の前の俳優の限界に制約されながら創作をするしかない。きっとそういった視点が、素材である俳優をいかに磨き上げるか、という観点を産み、スズキ・メソッドを創出する原動力となっていったのだろう。
 
今回の「鈴木教室」が実際に『シンデレラ』の舞台装置を前にしての授業だったため、装置についての解説もあれこれとしてくださったのだが、それもまたおもしろかった。いわく、鈴木さんはいろんなところから「ガラクタ」を集めてきて出会わせるのだという。「ミシンとこうもり傘の手術台の上での不意の出会い」というアンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言からの言葉(?)も引用したりして、その「ガラクタ」の出会いの妙について語っていた。
 
鈴木さんが「ガラクタ」といっていたのは実際にその場所にあったたとえばバケツや、椅子や、コーヒーカップのことであったのだが、もちろん、なんでもかんでもとにかく舞台上にあげてしまえばよい、というわけではない。「ガラクタ」をもっと良い言葉で言えばつまり「遺産」ということになるのだと鈴木さんは言っていた。演出家は人類の「遺産」についての情報をしっかりもっていなければならない、ということをカラヤンやトスカニーニの演奏を例に挙げながら語っていた。つまり、「遺産」について熟知していなければ「ガラクタ」は単なる「ガラクタ」で終ってしまう。それを舞台上で奇跡のごとく輝かせるためにはしっかりと素材について、ガラクタについて、遺産について、知っていることが重要なのだ。「素材」を熟知せぬものは建築家にも演出家にもなれない。
 

【誰に観てもらいたいのか、その対象を明確化せよ】
 
この言葉も大変重要な言葉だった。誰に観てもらいたいのかを明確にせよ、と。ギリシアであれば、ディオニューソス劇場がそうであるように、そもそも演劇とは神に捧げられるものであった。そのため俳優は神に向けて演技を行ってきた。どんな場合でも、演技の対象が俳優のエネルギーの向かう方向を決定するのだ。日本の伝統芸能の中にもまた観客席の中心に座る将軍、殿様への意識が常にあったわけで、誰に見せているのか? という問題意識が同様に強く存在していた。

それがチェーホフ/スタニスラフスキーに至って、演技が舞台上の相手役へ向けてなされるようになった、と鈴木さんはいう。「縦に動いていた俳優たちが、横に動くようになったんだ」と。しかし、ここでも演技の方向性を決定づけているのは依然として、その対象が誰であるのか? という視点であることに変わりはない。さらに、スタニスラフスキー・システム(メソッド)というものは、そもそもチェーホフの戯曲をいかに上演するか? という問題意識の上に構築されたものだ、という指摘があったことも忘れてはならないだろう。

 
もちろん、スタニスラフスキー以後のいわゆるリアリズム演劇というものも、客席を想定し、観客に対して見せていることは間違いはない。ここで考えなければいけない問題が、「演劇を誰に見せるか?」と「演技を誰に向けて行うか?」という2つに分裂しているとみなすことができるだろう。ギリシア悲劇においてはその二つの問いについての答えは両方ともに「神にむけて」であったろう。ではリアリズム演劇はどうか? ひとまず「演技を誰に向けて行うか?」については「相手役」で間違いないだろう。では、リアリズム演劇は誰にむけて見せているのか? 「観客」とひとまずは答えられるのだろうが、さて、はたして観客とは誰か? 

鈴木さんは言う、「お客様は神様です」というのが資本主義時代の演劇のひとつの前提である、と。しかし、「お客様」の求めに応じて、「お客様」のみたいものをみせているだけでは、単なる大衆迎合の「芸能」にしかならない、と。「芸能」は「芸術」とは違う何かとして鈴木さんの中では想定されていた。その区分がどの程度厳密なものであり、どの程度自分にとって有効な区分なのかは怪しい。僕にとって「芸術」と「芸能」とを峻別することは不可能であると思われるし、その区別をすることにほとんど意義を感じない。しかし、もちろん鈴木さんが強調しようとしたことは何もそういった単語使用の厳密さに対しての意見ではない。鈴木さんが言ったのは、あくまで高い志をもって舞台創作に臨むべきであること、そしてすべての経済的な成功者がそういった志を持って創作を行っているわけではないこと、ではないかと思う。それは深い部分で何故鈴木さんが東京という場所で創作することの限界を感じ、利賀村をその拠点に選んだのかという話に通じる。

おそらく当時すでに経済的な成功を収めつつあった鈴木さんは、資本主義と文学/芸術とがどのような関係性の中で出会うことが可能か、いや、もっと言えば、文学はいかにして資本主義を食い破ることが可能か? という問題とぶつかったのではないかと思う。そして、結果として東京は「芸能」の場所であって「芸術」の場所たりえない、と判断したのではないだろうか。


ちょっと話が逸れてしまった。誰に見てもらいたいか? という話だった。強調しておきたいのだが、鈴木さんが語っていたことは徹頭徹尾、観念論ではなく実際的な、現場主義的な話であった。彼がいかに執拗に現場にこだわり続けているか、ということを目の当たりにする機会として、今回の鈴木教室の中に『シンデレラ』の公開稽古が含まれていたことは大変有意義だった。彼ほどの「大物」演出家が、しかも御年70を超えようかという身体状況の中で、逐一自分が稽古場のすべてを統括し、俳優の見せるパフォーマンスのわずかな質の低下すらも看過しないというとてつもない緊張感を保ち続けていることは尋常ならざることだったと言えるだろう。「鈴木教室」の公開稽古の最中、鈴木さんは何度も身振り手振りを交えて俳優のパフォーマンスに指示を出し、それでも足りなければ舞台上に自らが登って実際に動きをやってみせたり、俳優の体に触れたりして、その強度を問い直すのだった。このテンションを保ち続けるのは尋常なことではない。それほどまでに鈴木さんは現場に対して強烈なこだわりをもっており、稽古場に立ち続けることの中にしか演出家の仕事は成立しない、とでもいいたげなその振る舞いは圧倒的な有限実行を感じさせるものだった。

鈴木さんが「対象を明確にせよ」と言ったのは、まさしく実際の客席に座る誰か=観客を、明確に想像せよ、という意味だろう。「見せるという戦い」を戦う際には、この人にだけは負けたくない、この人にだけは認めさせたい、という意識を持つことが決定的に重要になってくる。それゆえの明確化。鈴木さんは極端な例として、「俺はたった一人の評論家のために上演を行ったことがある」というエピソードを披露してくれた。そのぐらい明確な対象を見定めることが重要なのだと鈴木さんは言う。なぜなら、誰に向けて作っているのか? どの基準で作っているのか? という問題意識が、当然ながら自分たちの作品のレベルを規定していくからだ。

 
【だから鈴木さんはスズキ・メソッドを作った】
 
話題がスズキ・メソッドの成立過程に及んだ際の問答も大変興味深かった。鈴木さんは舞台芸術を高いレベルで成立させるためには、高いレベルをもった俳優の身体が欠かせないと考えた。その信念の原点にあるのは「感動」だという。どういうことか。たとえばオペラ歌手の発声や、バレエダンサーの高度な身体コントロール能力、能役者の優れた空間把握能力などを目にした際に鈴木さんは「大したものだ」と「感動」した。まずはそういった人類の遺産に対する感動があって、そのレベルと拮抗した作品を作るために、「方法」≒スズキ・メソッドが構想されたのだ。
 
ちょっと話は逸れるがこのあたりに鈴木忠志という人物が生きた時代というものを強く感じた。おそらく1960年代には寺山修司やリヴィング・シアターの活動、あるいはピーター・ブルックやグロトフスキ、ムヌーシュキン、ロバート・ウィルソンなどという人たちが新たな方法を巡って同時多発的に演劇活動を行い、そのことが相互に刺激を与え合っていたのだろう。
 
では鈴木さんはスズキ・メソッドをどのような観点で構想したのか? 興味深い発言をいくつか挙げておきたい。「音声を消して映像として観た時にはすばらしい動きがそこになければいけないし、逆に映像を消して声だけを取り出してもそこにすばらしい声がなければならない」。小説家/ミュージシャンの町田康が、たしか町田町蔵時代の自分の詩について同じようなことを言っていた。詩として読んでもおもしろく、またそれが音声化されてもおもしろい、そういったものを目指している、とかなんとか……。
 
また、こんなことも言っていた。「この女はかわいいな、とか、好きだな、とか、そういう基準で俳優を選んでいたんじゃダメだ」と。様々な人類の遺産に対する大いなる感動と、それに対して抱いた「アングロサクソンにひとあわ吹かせてやる」的な対抗意識とを出発点として、鈴木さんは自分の作る舞台芸術がどのレベルに到達すべきかという目算を得た。そして、それを達成するために必須の素材である「優れた俳優の身体」を鍛えるために、個人の好みを超えた場所に基準を設け、鍛錬する必要があると考えた。その、自分なりの評価の基準の総体がスズキ・メソッドなのだろうと思う。
 
鈴木さんが俳優の身体に何を求めているのか? それを僕が正確に理解することはおそらく永遠に不可能だろう。それこそがアーティストとしての鈴木さんの核心でもあるだろうから。だからこそ、不可能とは知りながらもそれを類推することは重要だ。おそらく鈴木さんは俳優に対して、非常に大きなエネルギーをコントロールする力を必要としているのではないか。「野外劇場の上演で声が風にかき消されてしまうような恥ずかしいことはできない」という趣旨の発言からも、彼がいかに圧倒的なパワーを求めているかがわかる。
 
また、こんな話も出た。俳優は、たとえばマクベス夫人が神経症的に手についた血の汚れを落とそうとする様や、オイデュプス王の狂気などを演じなければいけない。そのことは単に我々が日常を過ごす過程からは析出され得ないものである、と。その指摘は当然と言えば当然のことだ。たとえばデスデモーナの殺害を決意したオセローを演じるとして、俳優は日常の中からは容易にそのような体験を引き出してこれないし、だからといってそういった日常を送る、などということはさらに不可能なことだ。おそらく鈴木さんは、そのような巨大なエネルギーを持った登場人物たちを肉体として顕現させるために、俳優には高度なエルネギーを扱う能力が、身体の技法として備わっている必要があると考えたのではないか。
 
高度な精神的緊張、集中状態を表現するために、身体の技法が必要だと考えた点にリアリズム演技とスズキ・メソッドとを明確に分かつ分岐点が存在する。もちろん、リアリズム演技もある意味では身体の技法なのだが、おそらく、スタニスラフスキーは鈴木忠志よりも、思考の過程、精神のコントロールに重きをおいていたのではないかと思われる(もちろん、スタニスラフスキーがヨガに着目して、それに取り組んだことも忘れてはならないが)。
 
さて。巨大なエネルギーを束ねること/制御すること/コントロールすることがスズキ・メソッドにおいては重要視されているのではないか、と述べた。さらに議論を進めたい。おそらく、スズキ・メソッドにおいては俳優が巨大なエネルギーを体現するために重心のコントロールをする必要がある、と考えられているのではないだろうか。どういうことか。『シンデレラ』の劇中で披露された断片からも、「重心のコントロール」という課題がいかにスズキ・メソッドにおいて重視されているかは明らかだったろう。訓練の中で俳優は蹲踞の姿勢になり、つま先立ちになり、倒れた状態から起き上がる、……などという動作を繰り返すのだが、それらの訓練で鍛え上げようとしているのは、様々な重心の在り方を自在にコントロールする力、また、姿勢をいかに変化させようとも重心を保ち、ぶれない強靭な身体を身につけること、ではなかったろうか。
 
ここに、明らかな飛躍があるように思う。たとえば、「リア王を演じるためには蹲踞の姿勢でフラフラしてはいけない」と聞けば、それはなんだか奇妙に響くだろう。が、しかし、それは実際に行われていることなのだ。精神的なエネルギー、あるいは巨大な精神的負荷を表現するために、それを肉体的なエネルギー、負荷に変換する、という考え方がここで採用されている。それはもちろん自明のことでは、ない。

鈴木さんがそう考えたのだとすると、そこには「精神的エネルギーは肉体的エネルギーに変換しうる」という哲学が横たわっているに違いなく、極論すれば、「精神とは肉体のことだ」とでも言うべき芸術観がそこには存在しているのではないか。同じ言葉を、舞踊家が口にしたとすれば、それはさして奇妙には響かない。しかし、言葉や声、すらも肉体の中にその真価が見いだされるのだとすれば、それは大きな鈴木演劇の特徴と言ってよいだろう。おそらく、鈴木さんは身体についてそのようなレベルで思考したはずだ。したがって質疑応答の際に鈴木さんが受けた質問、「たとえば平田オリザさんのような方法で演劇を作ることもできるわけですが、なぜ様々な方法がある中で鈴木さんは、スズキ・メソッドを作ったのでしょう?」に対して、「あれは方法ではない」と断言することになったのだ。もちろん鈴木さんはオリザさんについても大変よく知っており、(二人の思い出話のようなものも「教室」の中で披露された)、オリザさんが近年の演出家においては稀に見る体系的な演劇論を出版している人物だと知った上で鈴木さんはこの発言をしているはずだ。と、すれば「あれは方法ではない」という言葉の真意の中には、身体論でなければ演劇論に非ず、とでも言うような極端なまでの身体重視の思想が横たわっていると見るべきではないだろうか。

 
また、少し話はそれるが、私には、スズキ・メソッドによって鍛え上げられた俳優たちの動作が、古武術研究家の甲野善紀さんの動きに通じるとも感じられた。このことは私を混乱させる。もちろん、自分の体が持っている能力を最大化する、という点では甲野さんの追求する古武術とスズキ・メソッドは同じ方向を向いているとも言えるだろうが、甲野さんの古武術研究においてはスピードと効率こそが追求されており、そのことはある意味でスズキ・メソッドの真逆のようにも感じるからだ。つまり、舞台上で意図的に火事場のクソ力を発露させようとする演劇の身体論は、あくまで身体エネルギーのとんでもない浪費を伴うわけで、その不必要なまでの身体エネルギーの結晶化作用は、甲野古武術の追求する「スピード/効率」とは決定的にズレているように感じるからだ。しかし、そのふたつになぜだか大変近い動きを感じた。それがなぜなのか? その共通点と相違点についてはまた改めて考えてみたい。
 
【個人の感動を作品にするわけじゃない、他人が言ったことで自分にとって大切なことを演出するのだ】
 
これは、何が作品を創る動機になるのか? という質問に対して答えた言葉。鈴木さんは自分が日常で体験し、感動したこと、あるいは戯曲に対してすばらしい戯曲だ、と感動したことなどは創作の出発点にはならない、という。あくまで、他人が言ったことで自分にとって大切だと思ったことを演出するのだと言うのだ。この発言の中でも、あくまで自分個人の発想や個性ではなく、人類史的な価値を持つ何かをこそ芸術家は重要視せねばならない、という考えが現れていると言えるだろう。が、一方で「自分にとって大切だ」と感じられたのであれば、それは単に自分が感動した、と言えなくもないわけで、この2つが別のものとして想定されていることは興味深かった。ここでの鈴木さんの真意はおそらく、自分個人の体験、などという狭い了見に留まるな、ということではないだろうか。もちろん、いかなる感動も個人的な体験としてしか出現しないだろうが、その「感動」を客観視して、語るに足るものであるのかどうか、見極める視線を芸術家は持たねばならない、と、そういう意味のことを言っていたのではないかと思う。
 
【自分の弱さを肯定するために創作を行ってはならない】
 
これも印象深い言葉だった。舞台芸術にはいろいろな表現の方法があるし、あらゆる手段/人材/予算を常に我々が常に手にできるわけではない、という話題になった際、鈴木さんは言った。どんな方法を選択するのであっても構わない。ただ、自分の弱さ/欠点を肯定せんがために創作を行うようなマネはするな、と。

 

[小論文]これからの演劇教育について

  • 2014.01.15 Wednesday
  • 01:53
演劇教育、ということを考える前に、そもそも教育とはなんだろうか? ということについて少し考えてみたいと思います。人が人に対して何かを「教える」とは一体どういったことなのでしょうか? 情報の伝達、技術の習得、歴史・研究の成果を次世代に伝えていいく、……などなど様々な答えがあるでしょう。もちろんそれも間違いではないのでしょうが、私が教育にとって一番大切だと考えているのは、「自立する力を身につける」ということです。どんな知識も情報も、単に受身の姿勢で外部から与えられたのでは役に立ちません。
 
現代日本には職業選択の自由があり、かつまた終身雇用体制が過去のものになりつつある中で、大変社会的な流動性が高まっていると言えるだろうと思います。そのような環境の中で個人が生き抜いていくためには、多くの選択肢の中から自ら選択し、決断を下し、そして自分にとって必要な技術・情報・人脈を自力で築いていく力こそが最も重要になるだろうと思います。私自身も大学まで様々な教育を受けてきましたが、今にして役立っていることは何かと言えば「学び方を学んだ」ということ、つまり自立するための力を学んだことに尽きると思います。
 
今、「コミュニケーション能力」の重要性がいろいろな場面で声高に叫ばれています。企業が求める人材について調べてみても、必ず高い順位で「コミュニケーション能力」が挙がります。ですが、この「能力」の実態は大変、把握しづらいものです。テストで点数にすることも難しいですし、いかにして「コミュニケーション能力」を獲得していけばよいのか、というその学習過程がとても曖昧だからです。
 
学校教育で学ぶのは知識・情報が中心なのに、いざ社会に出るとなるとかなり大きなウェイトで「コミュニケーション能力」なるものが求められる……。私は、現行の教育制度が抱えるこの大きな矛盾に対して演劇教育がひとつの回答を提出できるのではないかと考えています。知識や情報の獲得とは別にある、「他者との関係をいかに築いていくか?」ということについての教育。それが演劇教育の果たしうる役割であり、今後の社会においてますますその重要性は高まっていくことだろうと思います。
 
なぜ、そのことの重要性が高まっていくのでしょうか。それは現代社会のあり方と密接に関わっていると私は考えています。以下、そのことと絡めながら演劇教育のこれからについて述べたいと思います。
 
演劇教育の果たせる役割
 
まずはいくつか箇条書きで演劇教育の持つ可能性について挙げたいと思います。
 
(1)都市化とテクノロジーがもたらした身体感覚の喪失、その回復としての体の教育。
(2)流動性の高い社会がもたらした深いコミュニケーション機会の喪失、その回復としての心の教育。
(3)職場・家庭に次ぐ、第三のコミュニティの創造。「生涯学習」としての演劇の場。
 
以上の点、すべてについて詳述しようと思うとあまりにも長くなってしまいそうですので、ここでは特に(2)について述べたいと思います。
 
現代人はおそらく過去のどの時代よりも流動性の高い時代を生きているといえるでしょう。ひとつの村で生まれ、そこで人生が終わっていくような暮らしが当たり前だった前近代の社会と比べると、現代社会は全くの別世界であると言っても過言ではありません。
 
また、携帯電話やパソコンなど、テクノロジーの発展も私たちのコミュニケーションのあり方に大きな変化をもたらしました。「Facebook」や「twitter」、あるいは「line」などというオンラインメディアを使って多くの現代人はコミュニケーションを取るようになりましたが、これも一昔前には想像も出来なかったことです。
 
良い面に目を向ければ、そういった変化は社会の風通しを良くしたとも言えるでしょう。現代では、好きな趣味を持った者同士であればたとえどんなに遠くに住んでいようが、学校や職場が違っていようが自由にコンタクトを取り、つながることが可能なのです。私の知人にもインターネット・ゲームを介して知り合い、遠距離恋愛を経て遂には結婚に至ったという夫妻がいますが、そんな風に、現代人は生まれた環境や場所に縛られることなく、出会いの機会を持つことができるのです。確かに、テクノロジーは「誰とでもいつでもつながれる」という自由を我々にもたらした側面があります。
 
しかし、一方で「誰とでもつながれる社会」は「嫌な人とは付き合わなくてもいい」という切断の自由がある社会でもあります。次々に他人と出会うことができるのですから、気の合わない相手、嫌な思いをさせられた相手とはわざわざつきあい続ける必要が無い、というわけです。そういった社会の中では、なるべく相手に嫌な思いをさせないように、傷つけあうことのないように生きていかなければ、簡単に関係を切られてしまいます。このことが多くの人達、とりわけ若い人たちを人間関係に対して極度に臆病にしている遠因だろうと思います。少しでも嫌な思いをさせてしまったら相手から関係を切られてしまうかもしれない、無視されてしまうかもしれない、という恐れが、どんどん人間関係を希薄にしていっているのです。つまり、「特定の相手と深く関わらざるを得ない社会」から「不特定多数の相手と広く浅く付き合える社会」に、望むと望まざるとに関わらず、我々の住む環境は変化を遂げつつあるのではないでしょうか。おそらく、このことは近年増え続ける「ひきこもり」の問題とも無関係ではないでしょう。
 
私は大学のサークルから演劇活動を開始したので、長い期間に渡って演劇サークルの学生たちとワークショップという形で定期的に交流を持ってきました。加えて、10年以上に渡る劇団活動の中で、本公演を一つ行う度に必ず次回公演のためのオーディションを兼ねたワークショップを開催してきました。そこで多くの若者たちと出会って感じるのは、揉め事に慣れていない人がどんどん増えている、ということです。本気で怒り、本気で人とぶつかりあう経験が今、急速に失われていってしまっているのを感じるのです。
 
例を挙げましょう。以前、ワークショップで喧嘩のシーンを扱った時のことです。シーン稽古の際、どうしても相手役に対して怒れない若い女の子がいたのです。怒っている演技がちっとも怖くない。遠慮ばかりしてしまっていてあまりにも「優しい」のでシーンが成立しなかったのです。そこで私が、「あなただって普段こんな風にケンカすることがあるでしょう?」と言うと、その子は「ありません」と断定的に答えたのです。驚いた私が「でも意見の対立はあるでしょ? そうしたら言い合いになるでしょう?」と聞くと、その女の子は「そうなったら離れちゃう」と言うのです。しかも他の参加者の中にも、「あたしもそう」「僕もそう」と言う人が複数おり、大いに驚かされました。その後、私はワークショップの現場で彼女と似たような、いわば揉め事慣れしていない若者と、しばしば出会うことになりました。
 
確かに、不愉快な相手とわざわざずっと付き合い続ける必要はないでしょう。しかし、まったく摩擦の起きない人間関係などありません。ことにお互いが真剣に物事に取り組んでいく上では、そうやすやすとは譲れないことも沢山出てきます。そういった深い人間関係を築いていく上では、いかにぶつかっていくか? そして、いかにぶつかって傷ついた関係を修復し、継続・発展させていくか? という能力こそが問われます。
 
今、そういった経験が決定的に欠けている若者が増えつつあるのは、個人の資質の問題ではなく、先に挙げたような社会のあり方の変化によるところが大きいように思います。にもかかわらず、多くの若者はこの問題を、「あなたが引っ込み思案だから」とか、「暗いから」、「コミュ力が無いから」といった個人の資質に還元する形で考え、悩んでしまっているように思います。それは当然ながら自己嫌悪を伴い、ますますコミュニケーションに怯えるという悪循環を産んでいるように思います。
 
おそらく、もっと上の世代から見れば私の世代であっても、「ちっとも本気でものを言わない世代だ」と思われているのでしょう。それはずっと以前から進行し続けている現象であり、おそらく今後とも加速していく変化だろうと思います。というのも、社会の流動性もコミュニケーションメディアの技術革新も、前進こそしても決して後退していくことはないでしょうから、ますます対面のコミュニケーションを避けて生活する「自由」が拡張されていくことは間違いないからです。
 
このような状況の中にあって演劇教育はひとつの回答を提出できるかと思います。なぜか。第一に、演劇の現場では、たとえ気に入らない相手であれ、共演者、相手役とはどうしてもつきあわなければなりません。教育と演劇について多くの著作を記している平田オリザ氏が再三強調する、コンテキストの異なる他者と意思疎通を図る力、「対話」の力というのものが演劇を作る中では必要となってくるのです。
 
演じる役の中には、愛しあう役もあればいがみ合う役もあるでしょう。ひょっとすると殺し合いをする関係、なんてものもあるかもしれません。そういった日常ではなかなか味わえないほどに深くて濃い、時には激しく対立するような人間関係を、演劇はフィクションの中で「体験」させてくれるのです。さらに言えば、―――ここがとても重要な点ですが―――どんなに本気でぶつかりあったとしても演劇というフィールドの内部では、「ハイ、おしまい」と言ってその関係性をリセットすることができるのです。たとえ殺し合いを演じた二人であっても、稽古が終わればそのすぐあとで仲良く食事に行くことだって出来るでしょうし、「より良い殺し合い方」について議論することだってあるかもしれません。つまり、演劇という形式/ルールが直接お互いを傷つけ合うことから個人を守ってくれるのです。今まで人間関係に対して臆病であった人に対して、「とにかく人と深く関われ」とアドバイスをしてもそれは無理難題というものでしょう。必要なのは無理強いでもなければ、蛮勇を期待することでもなく、安全な第一歩を用意してやること、ではないでしょうか。演劇であれば、そのように守られた環境の中であれば、だんだんと、少しづつ「本気でぶつかりあう人間関係」ということを学んでいくことができるのではないでしょうか。私はそこに、これからの演劇教育が持つ大きな可能性を感じます。
 
私は、「誰とでもいつでも仲良くすごせて、誰とも問題を起こさない能力」がコミュニケーション能力だとは決して思いません。真に追求されるべきコミュニケーション能力とは、衝突が起き、問題が発生した時にいかに相手の立場に立って物事を見ることができるか? いかに相手の痛みを想像する力があるか? ということでしょう。演劇は、その長い歴史の中でまさにそういった能力をいかに開発するか、専門的に取り組んできた文化なのではないでしょうか。様々な「役」を演じることで人は自分以外の立場に立つことを学ぶことが出来ます。一つの公演を作り上げる際、本気で大切なものを共有することを体験し、大切にしているものが自分とは異なる他者と出会うことが出来ます。どんなに優れた人間でも一人では決して作れない芸術、それが演劇です。美術や音楽、ダンスのような芸術と演劇が決定的に異なるのはこの点です。演劇は、それぞれの人間がそれぞれの立場で果たす役割があるのだ、ということを我々に教えてくれます。他ならぬこの私も、演劇を通じてそのようなことを学んできた一人であると実感しています。
 
対立を抱えたまま付き合いを継続する技術、それは国際関係においても必要とされる能力でしょう。他国と仲良くしていくために必要なのは、いかに円満にやっていくか? だけではなく、いかに解決不可能な対立点を冷静に見据え、妥協点を探っていくか? という態度だからです。その意味で、演劇教育は国際的に活躍するタフな人材を育てる上でも多くの可能性を提供できるでしょう。
 
最後に、ここでは述べきれなかった点についても少しだけ。
 
演劇は当然ながら人と人が向かい合って行う作業です。そこでは必ず肉体を伴ったコミュニケーションが成されます。テクノロジーを介したコミュニケーションではなく、生身の体と声を使って、自分の肉体と相手の肉体を突き合わせた場所で創作が行われます。このことは、日常生活の中で失われつつある多くの身体機能を個人に思い起こさせる契機となるでしょう。どんな風に声を出せば相手に届くのか? どんな身振りをしていれば堂々として見えるのか? あるいは、オドオドして見えるのか? そういったことを身体の視点から検討していく視点が養えるのも演劇が持っている大きな力です。
 
さらにまた別の話になりますが、私は、演劇という方法が有効なのは、なにも若者や教育現場に限ったことではないと考えています。老人の孤独死や、中高年の異常な自殺率の高さなど、現代日本が抱える問題の多くに対しても、演劇は解決の糸口を提供できるのではないかと思うのです。
 
現代日本社会で「職場」や「家庭」からあぶれてしまった人間がいきなり孤立化してしまうのは、「場所」を失った時に新たに参加可能なコミュニティが十分に用意されていないからではないでしょうか。村社会だとかご近所付き合いのような関係が都市部においてはほぼ壊滅してしまった現状に対して、この社会はいまだ新しいコミュニティのあり方を発見できていないように思います。その時、非常に重要な役割を担う可能性があるのが演劇、ダンスを始めとする参加可能なものとしての芸術と、スポーツなのではないかと私は考えています。
 
2012年にはいよいよ「劇場法」も施行され、今、新しい演劇の時代が始まろうとしています。世代を超え、背景を超え、さまざまな役割の人間が集う場所として、演劇には、そして劇場には今後ますます大きな期待が高まっていくことだろうと思います。
 
長くなりましたが以上、演劇教育のこれからについて私の考えていることです。

アマヤドリ、秋の2本立て本公演!

  • 2013.09.06 Friday
  • 00:11
 



はい、というわけで、もうなんていうか全然更新のないブログになってしまいましたが、秋の本公演、2本立て、やります!

もうなんていうか今回もまた本当に多くの俳優さんたちに出ていただくことになりました。集まってもらっただけで、ありがたいようなすばらしいキャスト陣ですからね。ただでは帰さないつもりでこれから本番まで、ねちねち作っていきたいと思います。

ひょっと時代の代表作「うれしい悲鳴」と最新作を並べようというこの企画。
続いていっているものと、新しく生まれ変わったものと、味比べしていただければこれ幸いであります。


アマヤドリ 2本立て本公演
 『うれしい悲鳴』/『太陽とサヨナラ』
 2013/10/23(水) 〜 2013/11/03(日) @吉祥寺シアター 
作・演出 広田淳一

公演の詳細情報はこちらまで!
広田扱いでチケットを予約してやろうという奇特な方はこちらからどうぞ!




AmayAdori Studio Performance"雨天決行"season.2 のお知らせ!

  • 2013.07.02 Tuesday
  • 07:21


やります!
詳しくはこちらまで!

携帯からの予約はこちらをクリック!



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2012年度 劇作家協会新人戯曲賞 に、ついての続報

  • 2012.12.17 Monday
  • 00:29
先日、このブログで「2012年度 劇作家協会新人戯曲賞、公開審査会に際しての意見書」というタイトルで記事を書きました。本日はその後のご報告です。

まず、twitterそしてblogの記事を発表した直後に劇作家協会の新人戯曲賞を担当する事務局の複数の方から僕に連絡がありました。僕の意見書の内容を理解し、受け止めていただいた上での、冷静かつ真摯な対応で、いろいろと事情を聞かせてもらいました。その後、複数の審査員の方から直接電話、メールなどで連絡をちょうだいし、様々な議論をさせていただきました。本日は少しだけその内容について僕が理解した範囲のことをご報告したいと思います。

本来であれば、僕が劇作家協会の事務局の方々、あるいは審査員の方々の意見を代弁することは情報が歪んで伝わってしまう恐れもあり、自粛した方が良いかとも思っておりました。が、他ならぬ事務局の方のご許可をいただけたこともあり、また、僕の意見書に対して予想以上にいろんな方面からの注目・反応がありまして、その中には僕の主張が間違って受け取られてしまっているものもあり、このままでは結果としてこの戯曲賞の価値を毀損する形になってしまうのではないかという危機感を覚え、僕が自分の責任において説明できることは説明しなければいけないと考えるに至って以下の文章を書きました。(いや、しかしカタイねこりゃ)

第一に、前提として確認しておきたいのは、僕は今年の公開審査会で出た「結果」に対して異議申立てをしているつもりは当初から一切ない、ということです。僕は現在にいたるまで一貫して、「不公正な審査があったのではないか?」という疑問を、毛頭、抱いておりません。それぞれの審査員の方々がそれぞれの使命感でもって審査を公平・公正にしてくださったと確信しています。僕はあくまでもその前提に立って、より高いレベルの戯曲賞を目指すための意見書を発表させていただいたのです。向上の余地は常にある、それは今も変わらぬ信念です。

■審査員の選定に関して

これは事務局の方から明言されたことですが、審査員の選定に関しては応募者の投票通り上から順番に指名を行なっている、とのことでした。確かに今回のように一人も違わず同じメンバーになることは珍しい(はじめて?)のことなのだそうですが、実際のところ応募者の投票で上位に来る方は毎年大差は無いメンバーだそうです。よって、今回のように全く同じメンバーになることもそんなに不思議なことではない、とのことでした。

確かに仕事の都合などもあって、上位指名された方が必ずしも審査員を引き受けてくださるとは限らないそうですが、その場合は順次、応募者投票の順位通りに指名をしていくそうです。そして、お断りした方の名前・審査員の投票順位についてなどは今後とも公表するつもりは無い、とのことでした。その理由としては、事務局がただでさえ恨まれ役となり、時間的にも大変な労力を割かれる「審査員」という仕事を依頼するにあたって、「誰が何番でした」「あなたは繰り上げです」などの情報を公開することは、信義の上からも差し控えるのが妥当であろう、という判断があるようです。確かに新作を書き続けなければいけない劇作家が、「批評家」の役をを引き受けなければいけないというのは大変な心理的な負担で、僕としてもそれを勘案するにすべてを公表するのは難しいのだろうと、納得いたしました。

■司会に関して

結論から言うと司会に関しては、確かに検討すべき事案だ、という意味の返答をちょうだいしたものと僕は理解しています。事務局の方のお話によると、実はこの司会に関しての問題は以前から頭を悩ませてきた問題であり、現在にいたるまで様々な試行錯誤を繰り返しておられる最中だそうです。過去には実際に投票権のない司会者を立てたこともあり、その時に議事の進行があまりうまく行かず、ではどうしようか? となって、たまたま川村さんが司会兼審査員を務めた回というのがあったんだそうです。そうして、その時にそれ以前の審査会よりも議事の進行がスムーズになったということで、川村さんが審査員に入っている時には審査員兼司会をお願いすることとなったそうです。

また、意見書で僕が述べたほど司会進行役を引き受けてくれる人を見つけるのは簡単なことではないようで、やはりあの審査員たちを縦横に仕切れる人物は滅多にいるものではなく、実際に事務局の方が司会の依頼をして、複数の方に辞退されてしまったという事実もあり、それならば、ということで川村さんに司会兼審査員を現在はお願いしておられるとのことでした。

これに関して僕は、それでも原理的には審査員と司会者は分けるべきであるという主張を変えるつもりはありません。そしてそのことを事務局の方も理解してくださり、より良い形を模索していきたいというお返事をちょうだいいたしました。

■批評のレベルに対して

これについては事務局の方からは返答を差し控えたいとのお返事をちょうだいしました。事務局の方が審査員の方にお願いをして審査をしてもらっている関係上、それは当然のことであろうと思います。そして僕が主張していることも批評のレベルが高いだの低いだのということは多分に抽象的な話でもありますから、あとは各々の審査員の方々にその解釈を委ねるべき点であろうと思っています。

しかし、この問題に関しては幾人かの審査員の方々と直々に議論をさせていただきました。特に僕が意見書の中でお名前を挙げた渡辺えりさんは、お忙しい中、わざわざ時間を割いて何度も電話をくださいまして、あの意見書について侃々諤々、議論をさせていただくことが出来ました。

詳しい会話の内容ついては、僕がここで一方的に公開することは控えます。ただ、あくまでこれも僕からの一方的な認識ですが、とても有意義な話合いが出来たのではないかと個人的には思っております。最終的には、一候補者にすぎない僕の意見書に対して真摯な対応をいただけたことに大いに感謝するに至りました。以下、僕から渡辺さんへあてたメールの一部を、引用いたします。

(前略)

……渡辺さまにお気遣いをいろいろといただきまして恐縮なのですが、実は僕としては「傷ついた」というようなことは当初からほとんど一切感じておりません。どうも昔からその辺りに関して僕は大変鈍感に出来ているようで、今回の件に関しても悲しかったとか、傷ついたといったような心情的なダメージはほとんど無いのです。それよりもむしろ僕は生意気が過ぎる性質で大変に気が短いヤツですので、パーティの日もあまり長くいると、ふてくされてとんでも無い失言をやらかしてしまうのではないかと思って早々に退散させていただいた次第です。その後にメール、あるいはtwitterというメディアを通じて意見を表明させていただいたのは、僕としては純粋な討論/議論の延長戦というつもりでした。公開審査会においては反論の機会を持てない候補者として、僕は自分の劇のお客様、あるいは俳優たちへの情熱に答えるためにも、言われっぱなしでは終わるわけにはいかないと思ったのです。あの作品に情熱を傾け、命を預けてくださった多くの俳優、スタッフの誇りにかけても、僕はそれをしなければならないと考えました(電話でも申し上げましたが公開審査会において候補者に反論の機会は無くて当然のことと認識しております)。

僕は、僕を信じてついて来てくれている多くの俳優たちに対して、「僕は君たちを信用していなかった」などと言って次の作品に進むことはできません。その点に関してはもちろん渡辺さまに他意がないこととは十分承知の上ですが、それでもやはり、僕は抗弁をしなければならない立場にあったのです。

そういったわけで、僕は渡辺さまに「謝罪」をしていただきたいなどとは一切考えておりません。渡辺さまは渡辺さまの信念に基づいて発言をなさった。それに対して僕も僕の信念に基づいて反論をさせていただいた。お互い風通しよく言いたいことをいい、劇作家協会という現場の透明性、その言論の自由はますます大きなものだと証明されたのではないかと思っております。事務局の方にも正々堂々と提言に対してのお返事をちょうだいいたしました。一候補者に過ぎない僕の言説すらそのように尊重してくださり、みなさまが懇切丁寧にお返事をくださったことに僕は大変心強い思いをしております。……

(中略)

……長くなりましたがあらためて渡辺さまの誠意に感謝を申し上げてこのメールを締めくくりたいと思います。本当に大変な中、ありがとうございました。またいつか、どのような形でかはわかりませんが渡辺さまにもお会いして、じっくりとご指導いただけることを楽しみにしておます。


と、言ったようなことが現在までの顛末です。

■付録として 劇作家協会新人戯曲賞事務局 小松幹生さんとのやり取り

最後にご本人の許可をちょうだいいたしましたので、事務局の小松幹生さんと僕がした実際のメールのやり取りを転載いたします。内容はかなり重複しておりますが、原文ママですべて掲載したいと思います。

まずは意見書を発表した直後に小松さんより連絡がございました。


広田淳一様

長文のメール拝読いたしました。
事務局から、全文をそのまま、審査員全員に転送したようです。
担当として、疑問その他についてお答えいたします。

◎審査員の選定過程ですが、どの程度、投票結果を反映しているか。

毎年、投票結果のままです。もちろん、選ばれた人が日程の合わない場合は、不可能ですので、順次得票数の下の者に回っていくわけです。今回、去年と同じ審査員になったのはたまたまで、こういうことは、今までになかったかもしれません。

もちろん、というと語弊がありますが、審査してほしい人の名前にそうそう年度によって変化のあるものではなくて、日程の合わない人が年度によって違うくらいでしょうか。

5〜7年くらいの単位くらいで見ると、ゆるやかな変化はありますが。
まったく同じであることに、疑問を持つというのが、ちょっと不思議です。
だいたい同じになるだろうと、考える方が普通でしょう。
裏の話ですが、上位4、5人はここ10年近くずっと同じ名前ですね。

審査員の決め方ですが、以前は理事会で決めていました。
これが、出版社で出している賞なら、編集部が考える、あなたが言うように、「見識の豊かさ」とかを考慮して決めることが可能ですが、協会ですから、みんな劇作家で、自分を選ばなくてはいけなかったりするわけで、難しいことになりますね。事務局にしても同じようなことになります。

そこで応募者の投票で選んだらどうか、とある年度、案が出て、それは名案だと、みんなが賛成したわけでした。

◎投票の結果と選定過程を発表するつもりはありません。

それは、得票数の順番と辞退した人を発表するということになりますが、日程の都合で辞退する人、あるいは、別の言いたくない理由で辞退する場合もあるかもしれませんし、だいたい、誰が何票だったという話になるわけですから、発表される側にしてみれば、あまり気持ちのいいものではないですから。

審査員は応募者の記名投票を集計したものであって、しかし、日程の調整で出られない人もある、それが判っておれば、それで、充分ではないでしょうか。

多くの票を得た人の名前と票数を順番に発表したとしても、「これは本当か?」と疑うことはあるかもしれないし。最後には、それこそ、応募者全員の元の原稿を調べてもらうしかなくなります。

◎司会者について。

これは、以前は審査員でない司会者を立ててやっていたのですが(わたくしです)、横に8人が並ぶことになって、どうも、人数が多すぎるということが一番の理由でした。それに、審査員から下手だといわれましたしね(笑)

いつからだったか、審査員になった川村さんに司会をやってもらったら、うまく行ったので、それから、審査員になったときには、兼任でやってもらってます。
そうですね、このやり方をやってるのは、川村さんだけです。担当のわたくしが信頼してますんで。

あとのことがらについては、感想、遠慮しましょう。

小松幹生


この時点で対応の迅速さ、その誠意にかなりの部分で納得はしたのですが、さらに食い下がってそれに僕が返信してみました。以下、広田よりのメールです。

小松幹生さま

お世話になっております、広田淳一です。
昨年に引き続きまして出版に際しての校正など、もろもろ大変お世話になりました。
どうもありがとうございました(広田注:新人戯曲集の編集の仕切りは小松さんがやってくださっていたのです)。そして僕の投げかけた疑問、提案にもご丁寧にお答えいただけたことを感謝しております。

司会者の件については僕の指摘したのは川村さん個人が司会と審査員を兼ねる「信頼」に値するか方かどうか、という議論ではまったくなく、制度・システム、運営方法の原理として司会兼審査員は無理があるのではないかなあ、と思ったという話でした。

そうでしたか昔は小松さんがやっておられたのですね。ぜひその時の様子も拝見してみたかったですね笑
もろもろ、そうだったのかと腑に落ちる点が多く大変参考になりました。
若輩者の失礼極まる物言いに真摯にご対応いただきましたことを感謝いたします。
本当にどうもありがとうございました。


さらに小松さんからの返信。

広田淳一様

さっそくのご返信ありがとうございます。

司会の件については、おっしゃることは判ります。
ただ、なかなか人選が難しいですね。
審査員が一筋縄では参りませんからね。
一昨年も実は審査員でない僕がやったのですが、ほかに2名くらい頼みましたが尻込みされて。

公開審査会は審査される方にしてみれば、キツイものがありますね。
客席に座ってて、毎年冷や冷やします。

ぼくは1次のほかに、2次審査も長年やってますが、持ち点制度で、ぼくが高い点数を入れたせいで、最終候補に残った作品を、7人の審査員が、「なんでこんな作品が、最終候補に残ったんだ、誰が点を入れたんだ」という展開になって、客席にいた僕が立ち上がって、「オレだ」なんて、言って、「審査員たちは、なんで、この良さが判らないんだ?」と応援演説をしたこともありました(笑)。

その他、しかし、あまり書くのはやめておきましょう。
また、そのうち、縁がありましたら。

小松幹生


最後に蛇足ながら広田からの締めくくりのメールを。

小松幹生さま

お世話になっております、広田です。
重ねてご丁寧に返信ちょうだいいたしましてありがとうございます。
小松さまからのメールでおしまいにするのも恐縮でしたので最後にもう一度だけ返信させていただきます。

審査はなさっている側のみなさんも大変な心労とともにされてらっしゃるんでしょうね……。

応援演説(笑)。それだけでその候補者の方はずいぶんと心強い思いをされたことだろうと思います。
こちらこそご縁がございましたら、いや、きっとあるようにいたしますのでどうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
本当にご丁寧にありがとうございました。



というわけで、あの意見書に関しての続報は以上です。
いや、長い笑 
本当に最後まで読んでくださった方がいらしたらどうもありがとうございます笑

自分の言葉の至らなさに反省することも多かった一件でしたが、疑問に思っていることはなんでもぶつけてみるものだな、と思いました。責任ある立場の方々がしっかりと責任感をもって対応してくださり、有意義なやりとりが出来たことに感謝しております。さ、新作を書くとしますかな。

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