われわれの事業と感動についてを言語化せんとする悪戦苦闘。その1

  • 2010.05.10 Monday
  • 15:50


「感動!」
とみなみは叫んだ。それで正義は、びっくりした顔でみなみを見た。
「え? な、何……?」
みなみは、そんな正義に勢い込んで言った。
「そうよ! 『感動』よ! 顧客が野球部に求めていたものは『感動』だったのよ! それは、親も、先生も、学校も、都も、高野連も、全国のファンも、そして私たち部員も、みんなそう! みんな、野球部に『感動』を求めてるの!」
「ふむ……なるほど――」と正義はしばらく考えてからこう言った。「その解釈は面白いね。確かにそういう側面はある。『高校野球』と『感動』は、切っても切り離せないものだからね。高校野球の歴史そのものが、感動の歴史と言っても過言ではない。高校野球という文化は、これまで多くの感動を生み出してきた。だからこそ、ここまで広く、また深く根づいたというのがあるだろうからね」
「そうよね! 合ってるよね!」とみなみも、興奮して激しくうなずきながら言った。「私、知ってるの。一人、野球部に感動を求めている顧客がいることを! そうなんだ、彼女が顧客だったんだ。そして、彼女が求めているものこそが、つまり野球部の定義だったんだ。だから、野球部のするべきことは、『顧客に感動を与えること』なんだ。『顧客に感動を与えるための組織』というのが、野球部の定義だったんだ!」



以上、長々と引用したが「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」よりの引用です。文中にある「彼女」というのは主人公みなみの友人のこと。その友人というのも野球部のマネージャーなわけです。

いまさら宣伝するまでもないですが現在進行形で大ベストセラーになっているこの本はとても面白い。僕がとくに面白いと思ったのはこの「感動」という着眼点で、これはまるで演劇について語っている文章みたいに思える。もっとも、僕の演劇への定義からすれば高校野球のみならずスポーツ全般は演劇の一種なので当然と言えば当然なのだけど…。

さて、舞台創作と感動は、言うまでもなく切っても切り離せないものだ。

多くの演劇人が感動を求めてこの道を志していることはまあ大まかにいって間違いない。それではどの劇団も「感動を与えるための組織」なのだろうか? そうだと思う。端的に言えば。

しかし問題は「感動」て何? という話だ。当然ながら「感動」は随分と守備範囲の広いあいまいな言葉だから舞台創作に限らずこの「感動」という言葉で組織を定義することが出来てしまう。今後のエントリーで僕は、「われわれの劇団の目指す感動とはどんなものか?」ということを考えることになるだろう。


えー、ところで。先日お邪魔した「九つ井」というお蕎麦屋の社長さんが面白いことを言っていた。料理店というものは、おいしい食事を提供することはもちろんだが、食事も含めて最高の場所を提供することなんじゃないか、つまりは最高の時間・空間を提供するのがわれわれの仕事なんじゃないか、と。

これはまさしく「感動」を提供する話ではないだろうか。「九つ井」では料理・空間・時間への満足、すなわち感動が事業の目的とされているわけだ。その話に引き続いて社長が言った言葉が、この先の議論にとっては重要なヒントになる。社長さんは言った。


あるお客様にとっては最高の照明や座席であっても、それを不快に感じるお客様もいる。それは疑いようのない事実で、つまり全員にとっての最高というものはありえない。だから、最終的には自分の信じる「最高」を提供する以外にはないのだ、と。


まったくもってその通りだと思った。一方的に「お客様」の言っていることを聞いていても「最高」には到達できないし、もちろん一方的にこちらの価値観を押しつけるだけでも「最高」には手が届くはずもない。

そこにはコミュニケーションが必要になってくるのだ。

ここらで僕はようやく観客席に座っている、いわゆる「お客様」と僕らの作る作品についての話を始めることができそうだ。
その前に一点、注目しておきたい小劇場の特徴を挙げて今回は終わろう。それは、小劇場においては顧客と企業との関係性が非常に「純粋」なものになっていける、その可能性がほとんど無限に担保されている、という特徴だ。

以前ドラッカーの引用であげた小売店とメーカーの例では、小売店の商品棚に商品が並ばなければお客様の目には触れることもない、という現実があった。
そのような環境下では多くの顧客に支持される商品が確実に残っていき、そうでない商品は姿を消す、という淘汰の原理が正常に機能するが、一方では、一部に熱狂的なファンのつくような、けれども大半の顧客には見向きもされないような、そういった商品がやがて商品棚から駆逐されてしまうという危険性もある。ある人々にとってはその商品こそが「最高」であるにも拘わらず!

小劇場では、ほとんど「お客様」の支持を集めることが出来なくても、「商品棚」から「商品」が駆逐されることはない。良くも悪くも、金さえ出せば劇場は確保できるし、作品を提示することが許されている。これはある意味でとても「純粋」なことだ。そしてある意味でとても不健康なことだ。

もちろん舞台創作に携わる多くの人と同じく、僕も「お客様」の支持を得られないような作品を作っていきたいとは決して思ってない。むしろ、なるべく多くのお客様に楽しんでいただきたいと思って作品を作っている。

その時に順序を大切にしたいのだ。なるべく多くの人に楽しんでもらえる要素をリサーチして、それをもとに作品を作るなんてことはしたくない。良いものを作って、それを売りたい。少なくとも、その優先順位を守らなければ決して優秀なサービスエンカウンター達を納得させることは出来はしない(もちろんチンケな「アーティスト性」を重んじて自閉してしまっては元も子もないのだが…)。

やはり重要になってくるのはコミュニケーションだ。「お客様」の欲求に耳を傾ける努力と、自分たちの発信したい作品に耳を傾けてもらうための努力と、両方行って初めて上演者サイドと顧客の間に双方向性が確保される。

そのようなコミュニケーションの積み上げの先にしか、企業と顧客とサービスエンカウンターが三者ともに満足できるような作品は作れはしない。
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