ハローとワーク。

  • 2006.10.30 Monday
  • 05:36
先日、おくればせながら蒸し返した議論にfringeの荻野氏が真正面から返答してくださいましたので更に考えたことを書きます。
随分遅くなってしまったので前回トラックバックをしなかったのですが、コソコソ書いたようでかえって失礼になってしまい申し訳ありませんでした。そして見つけてくださってありがとうございました。

荻野氏も書かれているように、議論のための議論にならないよう心掛けながら書きたいと思います。その為にまずお詫びしたいのは、


ターゲットや論点が違うにもかかわらず、端々に私の文章を引き合いに出して比較するのはいかがかと思います


ということに関してです。具体的に言えば、私の記事にコメントをつけてくださったたかさきさんも仰っているように「ハーフタイム」という言葉を荻野氏がどういう意図で使っているのか、私はよく理解もせずに引用、批判してしまったと思います。その点に限らず、細かな引用が荻野氏の文章・意図を断片化し、少しづつ自分に都合のよいようにゆがめていく書き方になってしまっていたようです。これは一重に私の文章の拙さによるものです。反省し、改めていくよう努力いたします。大変、申し訳ありませんでした。

さて、かなり広範な読者を持っているであろう荻野氏が真正面から批判をしてくださったことに驚きもしましたが、何よりありがたく感じています。それを確認した上であと少しだけ胸を借りて議論を続けさせてください。


私の真意は、自分からもっとアンテナを張れと言うこと。

これは荻野氏にご指摘いただいようにコメント欄の議論の完全な繰り返しを書いてしまったようです。こういった点を含め、自分の気付く力の弱さを自覚し、改めていかなければいけないなと思いました。

本当の問題は次の項目あたりからです。荻野氏も私の論理が理解に苦しむ、と書いているのでここら辺が鋭く意見の異なる箇所のようです。以下、長くなりますが引用です、


私の文章は制作者向けで、13歳が読んだらどう感じるかは別の話。

13歳がこの本を読んだら誤解するという広田氏の危惧はそのとおりでしょう。しかし、私の記事は大人の制作者に向けて書いたものです。私に反論するのなら、制作者がこの本を読んだときにどう感じるかを論じなければ、全く噛み合わないと思います。
私は、過去の記事で13歳が読んだ場合の評価は一言も書いていません。制作者が読んだときのことしか書いていないのです。前提条件が全く異なるわけで、そこへ私の文章を引き合いに出す広田氏の論理は理解に苦しみます。この本が13歳にふさわしくないと考えるなら、純粋にそのことだけを書けばいいと思います。



確かに私が書いてきたのは「13が読んだら…」という前提に立った議論でした。そして私は13歳にこの記事はふさわしくない、と考えています。ただ、私においてそのことは「制作者がこの記事を読んだら…」「制作者にこの記事はふさわしくない」と完全に地続きの問題として認識されています。その意味で話はかみ合っていなかったのでしょう。
私は確かに、荻野氏に反論するというよりあの記事そのものへ反論をしたのだと思います。そのことが荻野氏への反論につながると思ってしまった部分がありましたが、それは短絡的だったと反省しております。

が、正直、私には荻野氏の「劇団員」と「舞台俳優」の記事に対してのスタンスがわからなくなってきつつあります。「13歳が読むにはふさわしくないが、にもかかわらず、制作者には有意義な記事だ」ということなのでしょうか? それは私には理解しづらい状況です。
というのも、そもそも私は「13歳」と「大人の制作者」という二つの読者層をはっきり切り離すことなどできないと考えているからです。13歳が誤解をする危険がある文章なら、大人の制作者が読んでもその危険はあるでしょう。文章そのものが誤解を招く表現を持っているのであれば、どの年齢層に対して誤解が生じても不思議はないはずです。
つまり私の論理で言えば、あの記事を読むのが13歳であろうが、大人の制作者であろうが、記事そのものへの評価・批判は本質的に意味を失わない、よってそれは別の話ではない、のです。


次に進みます。再び、引用です。


「ハーフタイム」を組み込んでも「劇団員」は減らない。

広田氏の説が正しいとすると、「ハーフタイム」の演劇関係者には、きちんと「ハーフタイム」分の報酬が支払われていなければなりませんが、小劇場系カンパニーは所属俳優全員に正当な出演料を支払っているでしょうか。著名になっても客演にしか支払えないところが大半ではないでしょうか。「ハーフタイム」を組み込んだところで、演劇活動で報酬を得ていない「劇団員」は多数いるのが現実だと思います。



これは先ほども書いたように「ハーフタイム」の認識が間違えていたようです。私は単にアルバイトなどで報酬を得つつ演劇活動をしている人、ぐらいの意味だと捉えてしまっていました。もし、そうだとすればあの記事に書かれた「劇団員」批判に対して多くの舞台関係者はそれをスルーできることになってしまう、それでは「脳天気」だろう、ということを書きました。
が、荻野氏の言っている「ハーフタイム」は、全然そういう意味ではないことがわかりました。これは完全な早とちりです。重ねて、申し訳ありませんでした。


だからといって今改めて「ハーフタイム」とは何ぞや、という定義の話をしても仕方が無いように思います。私にとって重要だったのは、荻野氏も「ハーフタイム」の基準にすら達しない小劇場関係者の多さを認めてらっしゃる、ということです。

私が問題にしたのは『13歳のハローワーク』の記述によれば、多くの優秀な小劇場関係者さえ尊敬されえない「劇団員」にカウントされてしまうのではないか? ということです。その区別はあまりに乱暴ではないか、ということ。

繰り返しになりますが、私が問題だと感じたのはあの記事が、「報酬」の有無の問題と「演劇の質」の問題を混同している、という点に尽きます。ハーフタイムであろうが、報酬が一切なかろうが、そんなことに関係なく優秀な俳優は存在する。その当たり前のことがあの記事ではふみにじられているわけで、私はそのことに反論したのです。もちろんそれは、13歳に誤解をさせないという意味にとどまるものではありません。

「報酬」と「演劇の質」は連動しない。この事実は事実として認識しておくべきだと私は思います。「質」の論理がアーティストの主観によって現実逃避的になるという危険はあるでしょうが、だからといってあの記事がもたらすであろう「誤解」を見過ごしていいわけではない。

その点に関して私と荻野氏では随分ずれているようです。最後にもう一つ引用をします。


私は、どんな仕事にも「報酬とは違う贅沢」があると思っています。そんなことは社会人なら誰もが知っている大前提で、演劇が特別だとは全く思っていません。その大前提の上で、報酬という共通のモノサシで比較してみたのが、『13歳のハローワーク』の「舞台俳優」と「劇団員」だと考えています。



私個人はもちろん演劇を特権的な仕事だと感じています。けれどそれはどの職業の人でも持ちうるあくまで個人的な認識だと自覚しています。だから、演劇が特別な職業だ、などというつもりではなかったのです。まあ、それはいいとして。

『13歳のハローワーク』は「報酬という共通のモノサシ」で本当に比較をしたのか? というのがずっと私が疑問に感じていたことです。それをしているとはどうも思えないからそもそもの違和感を覚えたのです。

「劇団員」の項目で示されている「仕事」に対して「報酬とは違う贅沢」を見出すことはかなり困難なはずです。それはあの記事に「報酬」というモノサシとセットで、「報酬が低い≒低質」という芸術観、主観が提示されているからではないでしょうか。
報酬という共通のモノサシで語りきるならばそうして欲しい、私もそう思います。そこには「劇団員」蔑視とか、要約的な演劇論などを盛り込む必要がないはずです。
コメント
  • 609164
  • 2007/08/14 1:17 AM
谿コ縺励※縺紜縺ァ√◆縺。
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以下のブログでのやりとりへのトラバです。 fringeブログ 膝ブラック >>荻野さんの論調は報酬に寄り過ぎていますし、 これは、『13歳のハローワーク』の「舞台俳優」と「劇団員」の説明がほぼ 「報酬」の切り口でしか見ていないので、必然的にそうなるかと。
  • FPAP高崎の「さくてきブログ2」
  • 2006/10/31 11:35 AM

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