続・劇作家協会への質問状、「安全保障法制等の法案」について(微調整版)

  • 2015.07.15 Wednesday
  • 10:49

 
「一般社団法人日本劇作家協会 言論表現委員会」より、2015年7月14日づけで広田の質問に対する回答が届きました。劇作家協会の真摯な対応に感謝するとともに、やはり埋めがたい大きな溝を感じているわたくしです。

ここに広田の質問と、その回答全文を掲載し、再度反論をさせていただきたいと思います。反論? いや、感想にすぎないのかもしれませんが、とにかく、僕は自分の考えを自分の言葉で書いておきたいと思います。元記事はこちらです。


まず、第一の質問。

 
【1】 仮にも文学者の集団である劇作家協会が、独自の言葉を紡ぎだして会員の同意を得る、というプロセスを経ることもできず、日本弁護士連合会の方々の宣言に便乗するような形を取ることについて、どう考えておられるのか。
 
(回答)劇作家協会は、必要に応じてしばしば独自の声明を起草し、発表しています。今回は緊急性にも鑑み他団体の声明に賛同した形ですが、そのこと自体に問題があるとは思えません。社会に発信された重要なメッセージを受け止め、伝達することも表現者の役割かと思います。

(広田の反論)これに関しては僕はただ、恥ずかしいだけです。仮にも、劇作家が協会として意思を表明するのであれば、自分たちの言葉を持っていて欲しい。それができないならあえて意見を出すまでもないでしょう。「社会に発信された重要なメッセージを受け止め、伝達することも表現者の役割かと思います」とのことですが、そういったことは個人で行えば十分ではないでしょうか。

 
続いて、第二、第三の質問と回答を提示します。
そののち、それに対しての反論/感想をまとめて述べます。


【2】劇作家協会は、言論・表現の自由の問題に直接的に関与するとは言いがたい今回のような政治問題に今後とも関与していくつもりなのか。そうであるならば言論表現委員の方々と政治的な立場を異にする僕のような人間は、どうやって自分の思想信条の自由を協会内において保っていけばよいのか。(もちろん劇作家協会が代議制をとっていることは承知しておりますし、僕は協会としての意思決定を理事の方々に委任している自覚をもっております。ただ、僕は現在のところいかなる政治運動団体にも関わろうと思っておりませんので、こういった政治活動に加担させられていく状況に混乱しております)
 
(回答)今国会で審議されている安全保障関連法案について、私達は言論・表現の自由と深く関連する問題だととらえています。
協会で最初に政治的アピールを出したのは2003年1月のことでした。言論・表現・報道規制法案といわれた6法案への反対でしたが、初めてのため、とても時間がかかりました。2002年5月の理事会で協議があり、問題理解のため座談会も企画し、協会員全体の総会にもはかり、国会への二度目の法案提出の際にぎりぎりでアピールを提出しました。その後、内容と今後の活動方針に関する会員アンケートもとり、その公表もしています。
こうした経緯を経て、協会では表現の自由・知る権利など劇作家の活動の根幹に関わる問題について、以後もボランティアの委員たちが議論を重ね、必要と考える意見表明をおこなって来ました。表明の是非はその都度代議制による理事者の審議で決しており、あくまで法人としての協会の意見を公表するものですが、常に会報などで会員への趣旨説明と周知をはかっています。
昨年(2014年7月14日)、協会は『集団的自衛権行使を認める閣議決定に抗議し、撤回を求める緊急アピール』を発表しました。全文はHPでご覧いただけますが、その主旨は、「閣議決定による解釈改憲は重大な憲法違反であり」「政府が手続き抜きで憲法さえ変えて良いなら、表現規制にも何らの歯止めもないことになり、権力に都合の悪い表現・言論が封殺されかねない」というものでした。「全ての表現者・言論人の活動の礎は、憲法の根本原理たる市民的自由」であると考えるからです。そして、その末尾で「この閣議決定に基づく全ての法案提出にも反対します」と表明しました。
今回の安全保障関連法案は多くの憲法学者が違憲と指摘する通り、憲法改正の手続さえ踏まず、実質において憲法の明文を無意味化するものです。日弁連のアピールもその点を問題視するものであり、従来の協会の意見表明と問題意識を一にするものとして賛同しました。いずれの際にも理事者の審議を経ており、昨年のアピールは会報でも趣旨説明をおこなっています。
 
【3】劇作家協会は井上ひさし初代会長による「子どものためにクリスマスの劇を書いたお父さんも入会できるように」という理念を今も掲げていると存じます。で、あるならば、なぜ政治的な不一致を招くことが明白である今回のような事案に関して、団体として賛意を示す必要があるのか。また、すでに「非戦を選ぶ演劇人の会」という場所があるにもかかわらず、なぜそのような主張を劇作家協会本体で行うのか。
 
(回答)「クリスマスの劇を書いたお父さんも入会できる」とは、いわゆるプロの劇作家にとどまらず、自らを劇作家と認めた全ての方が加入できるという協会の資格要件を説明した言葉です。そして、そうした全ての劇作家の取材活動と表現活動を支える、市民的自由を守るために必要な意見表明(賛同表明を含む)は、協会の重要な役割であり他団体に任せるべきものではないと私達は考えています。
協会の関わる多くの問題は多分に政治的ですが、「政治的不一致があり得るあらゆる問題について沈黙する」という立場には立ちません。協会はそのための意思決定方法として選挙を中核とする代議制を取っており、発表されるのは法人としての協会の意見です。理事者は、劇作家と社会の市民的自由を守るために必要と判断した意見表明を10年以上にわたって行っており、その上で会員の皆さんの付託を受けていると考えています。
ただ、言うまでもなくどこまでが劇作家の活動を支えるために必要な意見表明であるかは、不断の検証と議論をおこなうべき問題であり、その点で今回の広田さんのご意見は示唆に富む、大変傾聴に値するものでした。
あえて意見表明をされた広田さんの勇気に、敬意を表します。そしてそうした意見表明の自由が保証される社会を守るために、協会にできる役割を今後も考え続けたいと思います。

(広田の反論)問い2・3に関しては、僕の質問の前提である「今回のような政治問題」は「言論・表現の自由の問題に直接的に関与するとは言いがたい」という認識を受け入れてもらえなかったようです。これは、どうしたって程度問題になってしまいますので認識の差を埋めるのは難しいですね……。結果として僕の望むような形で議論は深まりませんでしたが、それは、僕の質問の仕方も悪かったのでしょう。

僕は、今般の安全保障関連法案は、言論・表現の自由と直接的には関係のない政治課題であると思います。もちろん広い意味では関係するでしょう。ですが、あらゆる政治課題は広い意味では言論・表現の自由に関係してきます。劇作家協会がどこまで政治について態度表明を行っていくのか、僕にはその歯止めがわからず、混乱しているのです。僕は、回答文にあるような「私達は言論・表現の自由と深く関連する問題だととらえています」という立場も、協会内にあってよいと思うのです。様々な立場の劇作家が協会内にいるのはとても健全です。だからこそ、あえてひとつの立場に寄り添って意見表明する必要は無い、と言っているのです。――安全保障関連法案は、安全保障に関する問題であって、言論・表現の問題ではない。僕はそのように考えています。

では、言論表現委員会の方々はなぜ「言論・表現の自由と深く関連する問題だ」と認識しているのでしょうか? みなさんが理由として挙げておられるのはおそらくこの部分でしょう――「政府が手続き抜きで憲法さえ変えて良いなら、表現規制にも何らの歯止めもないことになり、権力に都合の悪い表現・言論が封殺されかねない」。確かに、論理としてはわかるような気もします。ですが、どうもここにはある種の飛躍があるとも感じます。そして、論点が安全保障の問題から憲法の問題へとシフトしていることを感じます。

そもそも「政府が手続き抜きで憲法さえ変えて良い」などという主張を、誰がしているのでしょうか? 言論表現委員会の方々には政府与党のやり方がそう見えているのかもしれません。ですが、僕が知る限り、政府はそんなことを主張していません。彼らは「この法案は合憲である」と主張しているのです。これは「政府が手続き抜きで憲法さえ変えて良い」という主張とはまるで違います。ここを混同しては話が混乱していってしまうでしょう。

では、この法案は合憲なのでしょうか? 違憲なのでしょうか? 僕には、そんなことはわかりません。いや、正確には、僕には「判断不可能だ」ということがわかります。というのも、現実として憲法学者たちの意見さえ割れているからです。違憲派(小林節氏・木村草太氏など)の意見にもなるほど納得のいく部分が数多くありますし、合憲派(百地章氏・井上武史氏など)の意見にも納得できる部分があります。もちろん、圧倒的多数の憲法学者が違憲派であることを忘れてはいけません。と、同時に半数以上の憲法学者が現在においても自衛隊を違憲だと見なしていることもあわせて考えてみなければいけません。さらに、いわゆる砂川判決を論拠とする集団的自衛権合憲論にも、一定の説得力はあるように感じますし、国際政治学者の同志社大・村田晃嗣学長が国会で述べたように「学者は憲法学者だけではない」ということも考慮しなければなりません。村田氏は言っています、「もし、今回の法案についての意見を、憲法の専門家の学会だけでなく、安全保障の専門家からなる学会で、同じ意見を問われれば、多くの安全保障の専門家が今回の法案に、かなり肯定的な回答をするのではなかろうか」(詳しくはこちら)。まあ、そういうものなのかもしれません。

要するに、意見は割れているのです。そしてこの問題は、単に「合憲か、違憲か?」と考えていれば済む問題とは思えません。というのも「合憲であっても有害な法案」は存在するはずですし、「違憲であっても有益な法案」というのもまた、存在するはずだからです。もちろん、立憲主義は大切です。憲法をなしくずしに変更するべきではないでしょう。しかしまた、現行憲法にこだわって現実の安全保障問題をないがしろにするべきでもありません。何にもまして守らなければならないのは、国民の生命・財産であって、「現行憲法」ではないからです。ですから僕は、「憲法に合致していても、有害な法案は要らない」と考えますし、また、「憲法に合致していなくても、有益な法案があるならば、憲法を変えた方がいい」と考えます。ただ、今回の法案にまつわる議論からもよくわかったように、憲法改正の議論を始めると賛成・反対に関わらず、ヒステリックかつ感情的な態度を示す人が多すぎるように思います。お互いにレッテル貼りをして、相手を狂信者扱いしているような状態ではとてもまともな議論ができる環境とはいえないでしょう。
 
ともあれ、今般の安全保障関連法案に対しては、賛否が激しく分かれています。僕は、どちらの方々も戦争をしたがっているわけではないと信じています。賛成派の方々も、反対派の方々も、それぞれに戦争を遠ざけるための最善の手はなにか? ということを考えて議論を行っているのだと思います。これは、どちらかが、一方的に正しいとか間違っているとか言えるような単純な議論ではありません。「戦争をしたくてウズウズしている」人が賛成しているわけでもないし、「日本が亡んでしまっても構わない」人が反対しているわけでもない。双方、国民の生命・財産を守るためには何がいちばん大切なのか、それを考えているはずです。そしてその時に、国内の暴走する政治家をより恐れているのか、国外の暴走する国家をより恐れているのか、という立場の違いがあるのでしょう。ですから、こんな時にこそ対話が必要なのではないでしょうか? どちらの脅威がより現実的で、対応する必要のある危機なのか、しっかり比較して吟味する必要があるでしょう。今こそ、国民の生命・財産を守りぬくための真に有効な安全保障環境とはなにか、という本質の議論をするべき時でしょう。国会においても今回、ほとんどそういった議論がなされなかったことは与野党ともに大いに反省すべきことです。そして、同様の反省をまた劇作家協会もするべきでしょう。もちろん、僕も含めてです。

憲法9条二項と自衛隊/日米安保/国連憲章の間に横たわっている矛盾についても、根本から見なおすような議論があってよいでしょう。僕は以前から、どうもそれらの間には整合性がないように感じるのです。誤魔化しと矛盾の中で現在の安全保障環境が成立してきてしまっているからこそ、今般の安全保障関連法案のようなグレーな法案が出てきてしまうし、「憲法違反だ!」と声高に叫んでみても、それが建前論にしか聞こえない人たちが出てきてしまうのでしょう。
 
以上のような認識から、やはり僕はどうしても日弁連の声明には賛同できません。ああいった一面的なものの見方からは決して対話は生まれないと信じるからです。お互いを悪魔化するような態度では議論が矮小化されるばかりです。この問題は、賛成派と反対派と、双方が存在していて当然です。ですから、協会として反対の立場を鮮明にすれば、協会内の賛成派、あるいは積極的な態度保留派の声を無視することになるでしょう。確かに僕も「政治的不一致があり得るあらゆる問題について沈黙する」べきだとは思いません。しかし、このような明白に対立が存在する政治課題において、協会としての合意を形成する必要はないと信じます。劇作家協会は、政治団体ではないからです。

僕は、劇作家協会に所属していることで、なぜだか自分の信念とまったく異なる政治声明に賛同させられてしまうことになりました。そのことに、強く違和感を覚えています。賛成派、反対派、双方の存在を認める協会であってほしい。そうでないなら僕のような人間の居場所はない。政治的な意思表示は、劇作家が個人の責任において存分に行えばよいではありませんか。
 
コメント
どうもです稲富です。この件については傍観しているつもりでしたが、一点のみ。

>この法案は合憲なのでしょうか? 違憲なのでしょうか? 僕には、そんなことはわかりません。

この文言は危ういと思います。政治的問題に対してニュートラルに距離をとろうとしているように見えて、現実的にはこの言葉はそのように働かないからです。たとえば「アウシュビッツでガス殺が行われていたかどうか、僕にはわかりません、僕には判断不能です、実際歴史学者たちの意見が割れているからです」と口にすることがニュートラルだと思いますか。否。文脈的に、この言葉はガス殺を否定する論者に加担するように働きます。ほとんど白黒がついているはずの問題について、ただ少数意見を──もしかしたら何の根拠もなくイデオロギーからそう言っているだけかもしれない──主張する「学者」がいるということで、問題をまたグレーゾーンに戻してしまう方向の世論の形成に加担してしまうからです。広田さんが合憲派の学者として百地章氏の名を出していることが、その危険性を増します。そこではせめて、日本会議のような安倍政権べったりの団体に関与している学者ではなく、右派左派という旗印とは独立に、ミシェル・トロベールの法解釈理論を踏まえつつ合憲の主張をしている井上武史氏の名を挙げるべきだったでしょう。圧倒的な少数意見が存在していることを以て、しかも百地章氏のように学問的中立性が疑われる学者の意見を以て「僕には分からない」と口にしてしまうのは、現実には超少数の意見をその対立する意見とフラットに仮装するという意味で、論理的に潔癖とは言えません。

砂川判決について集団的自衛権を視野に入れていたものだと考える学者も、関連する米公文書が公開された現在、おそらく超少数でしょう。したがって、むしろ私は広田さんにとってもこの問題は、つきつめて考えれば「違憲」と判断せざるを得ないものだろうと思います。その上で「憲法に合致していなくても、有益な法案があるならば、憲法を変えた方がいいと考えます」というのが広田さんの立場だと愚考します。つまり国際情勢や軍事バランスの変化に即した解釈改憲の肯定です。そこからさらに今回の安倍政権の手法が正しいのかどうかということも争点になるはずですが、──しかし、実はその点になると、閣議決定による解釈改憲に反対している劇作家協会と広田さんとではさほど見解の齟齬=「明白な対立」がなくなるのではないかと思います。劇作家協会が危機感を抱いているところの言論・表現の自由の毀損という問題も安倍政権の強引な姿勢への批判と「深く関連」しているのでしょうし、結局その問題意識を広田さんも部分的には認めざるを得ないのではないか。私にはそう思われます。

お畏れながら、私には今回の広田さんの劇作家協会への批判というのは、若干イデオロギー的な反発のように見えていました。しかし、広田さんの志向している「対話」とは、相互に自分自身のイデオロギーを自覚し解体したところからしかはじまり得ないものだろうと考えます。広田さんの今回の公的な問題提起が、最終的にはそのような有意義な対話の端緒になっていくことを祈っています。
  • 稲富裕介
  • 2015/07/19 2:18 PM
極めて冷静で正論だと思います。同時代を生きる演劇人として嬉しく思います。
  • 奈須 崇
  • 2015/07/19 4:49 PM
違憲かどうか判断するのは裁判所でしょ、違憲立法審査権ももってないのに、違憲だ合憲だ決めつけろというのも辛い話だ。何より違憲だから悪い合憲だから良いとは考えていない広田にとっては、違憲だ合憲だと結論を出す必要もないように感じられる。最高裁判所が砂川判決で放棄した違憲かどうかの判断を、まず今法案ではしっかり下すように声をあげていかなくては、今のように個人の合憲だ違憲だが重要視される風潮が続いてしまう。裁判所に仕事をさせたい。
  • 通りすがり
  • 2015/07/20 4:41 AM
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