『悪い冗談』 「悪と自由」の三部作、vol.3 @東京芸術劇場 シアターイースト

  • 2015.03.27 Friday
  • 05:11
アマヤドリ本公演『悪い冗談』、ただいま東京芸術劇場、シアターイーストにて上演中です!
くわしい公演情報はこちらまで!

 
……さて。ここでは、全文書くと長くなってしまうだろうと思って掲載を控えた、『悪い冗談』戯曲の前書きを全文掲載いたします。舞台作品を観る前にくどくど解説なんて聞きたかねーよ、と僕自身考えているので、もちろんこんなものを読まなくても楽しんでいただける作品に仕上げたつもりです。しかしまあ、いろいろと創作者側の意図を知りたいと思ってくださる方もいるようですので、僕としても販売用戯曲ではすでに公開している戯曲の前書きをここに紹介したいと思います。


【『悪い冗談』前書き】

 
今作では舞台上に「裸の時間」を提示したいと思います。まず、そのことについて書きます。
 
観客は普段、それぞれが社会の中で別々の時間を生きています。「今はテスト期間中だ」という高校生もいるでしょう。「仕事が休みだったのでふらっと来た」という会社員もいるでしょう。そうした人々が劇場という場所を共有し、舞台作品の中を流れる「物語の時間」を共有すること、――それが演劇体験であると広く信じられてきました。もちろんそれは間違いではありません。ただ、舞台上に「物語の時間」を作り出してそれを共有するという試みは、「社会の時間」の内部にもうひとつミニチュアの枠組みを作っているだけではないのか、とも思うのです。そんなわけで、今作ではそれとは少し違うことを目指してみようと思います。どうやら私は舞台上に「社会の時間」の外部、いわば「裸の時間」とでもいうべきものを露出させたいと願っているようです。では、それは一体どういうものなのでしょうか?
 
そもそも劇場に来るまでもなく、「社会」や「世間」というものがひとつの「物語」――フィクションであると言えるでしょう。それぞれの社会にはそれぞれに固有の「物語の時間」が流れている。たとえば、「戦後◯◯年」という区切りはある社会にとっては有効でしょうが、また別の社会にとってはなんの意味もないはずです。また、「クリスマス」や「旧正月」、あるいは「夏休み」や「お母さんの誕生日」という特別な時間も、特定の個人や社会にとってしか意味を持ちません。ですから、「特別な時間」というものがどこかに存在しているわけではなく、あくまで、それぞれの社会や個人がそれぞれにとっての「特別な時間」を設定しているにすぎないのです。
 
もちろん、誰だって旅先なんかで、ふと、空を見上げて、「ああ、時間がゆっくりと流れているなあ……」という感慨を抱くことはあるでしょう。でも、実際に時間の速さが変わるわけではありません。人間の意識の方が変わるだけです。時間というものはいつでも、ただ単に流れているだけです。おそらく、人類とか生命とかが誕生するはるか以前から時間というものはただ単に流れていたのでしょう。その、「ただ単に流れているだけの時間」、それを指して私は「裸の時間」と呼ぶことにしました。そして今回は、それを舞台上に露出させたいのです。なぜ、そうしたいのか? 次にそれを書きます。
 
私はこれまで、物語のある演劇作品を作ろうとしてきました。戯曲を書くときには筋書きのわかりやすさや登場人物たちの心情、どのぐらい共感できるか、ということを大切にしてきました。それは舞台作品を通じて観客にひとつの「物語」を楽しんでもらいたかったからです。
 
だから私は「物語」をうまく伝える方法についてずっと考えてきました。そして、最も効率よく「物語」を伝えるためには、舞台上でもすべてのことが効率よく、つまりは計算通りに進まなければならないと考えるようになりました。つまるところ、私にとってのいい舞台作品というものは、よくできた脚本と、よく稽古された俳優/スタッフたちがそれをミスなく進行していくことによって産み出されるものだったのです。しかし、それは本当でしょうか? もし、「物語」の進行に奉仕するために、俳優が今、そこに生きているという現実や、そこに流れている「裸の時間」が排除されてしまうのだとしたら、それは本当に舞台作品にとって豊かなことなのでしょうか? 私はそこに疑いを持ったため、その枠組の外に出たいと望むようになったのです。
 
最後に、いかにして「裸の時間」なるものを露出させるのか? その方法について、現在私が考えていることを説明します。普段、演出家というものは舞台作品の内部で自分が様々な決定権を持っていると信じています。好きなタイミングで俳優を登場させたり、光を明滅させたり、音楽を流したり、あるいは火をつけることだってできる――そんな風に信じています。その感覚というのは、「自分が何かを決定しなければ、舞台上には何も起こらないのではないか?」という不安と表裏一体のものといってもよいでしょう。けれど、それもまた勘違いではないかと思うのです。演出家が何を指示しなくても時間は流れていきますし、空間はそこにあります。人間もまたそこにいて、きっと何かをするでしょう。私はいま、そういった当然の事実を肯定するところからもう一度演劇を始めてみたいと思います。何か新しいことをしようというのではありません。ただ、これ以上そこに実際にあるものを見逃したくはないだけです。(2015年3月27日加筆修正)
 
作・広田淳一
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