「九条やめたら運が逃げますよ」の何が問題か。※さらに改訂版

  • 2014.06.19 Thursday
  • 02:51


一昨日、僕はtwitterにおいて劇作家協会のwebsiteに掲載されている鼎談、「九条やめたら運が逃げますよ」について「ひでえ」という言葉を使って批判した。それはあまりにも言葉足らずの批判であったし、また、個人的にもお世話になった協会の先輩方を批判する言葉としては、あまりにも中途半端なものに留まってしまっていた。僕はそのことを反省し、どうせなら正面から批判したほうが何かの足しにはなるだろうと考え、改めて下記の文章を書くことにした(※後日追記:しかし結果としては「正面から」の批判にはなっていない。本当に「正面から」この問題を議論するならば、僕は僕の立場を明確にした上で、その政治的主張の正当性を述べる必要があるだろう。残念ながら今の僕にはその能力が無い)。


はじめに断っておくが、僕が批判をするこのタイミングがすでに自分本位の勝手なものであるのかもしれない。そもそも劇作家協会が集団的自衛権や特定秘密保護法に対して、団体として反対の立場を鮮明にする上では何らかの形で会員に意見を募るような機会があったのかもしれないが、僕はあまり丁寧に会報やらwebsiteやらをチェックしていなかったので、もしかすると内部で意見を求められた際には何も言わず、いざそれが公になると公然と批判を展開する……というようなある種無責任な行動を取ってしまっているのかもしれない。いや、もしかするとそんな機会は無かったのかもしれない。わからない。が、今はそういった事実確認よりも、すでに半端な形であれ批判をしたのであるから、せめてそれをまっとうな議論へと発展させることをもって自分の責任を果たそうと思う。


(※後日追記:それにしても劇作家協会はこの種の声明に対して意思を示す必要があるのだろうか? 協会では代議制が取られており、協会員の付託を受けた理事たちが判断したのだから協会員がそれに従うのは当然のことではあるのだろうが、この種の政治的活動をするために自分は劇作家協会に参加しているわけではない。協会員である、ということはこの種の政治声明に参加することを意味しているのか否か、僕の下記の文章が提起する問題のうちで最大のものはおそらくそのことだろう。)



えー、というようなわけでですね、なんだかまたとてつもなく硬い記事を書くことになりました。別に法学の知識も政治学の知識も無い素人の人間の書く文章ですので、これを読んでも大して参考になる部分はないかもしれませんが、予めご了承ください。



 

まず、冒頭にここで取り上げる鼎談のリンクを貼っておこう。言及する部分に関してはなるべく長めに引用をするつもりだが、どうしても広田にとって都合のよい引用になるだろうから、まずは鼎談の全文を読んでいただき、鼎談参加者の真意をノーカットで把握していただいた上で、下記の批判に目を通していただきたい。

 

「九条やめたら運が逃げますよ」



さて。僕がこの鼎談の 何に対して反論をしたいのか? あれこれあるが、論点を絞ろう。まずはここ、
 

沢田 北朝鮮の脅威・中国の脅威って言うけど、そんなお隣同士でね、昔から仲良かったわけや。そりゃもちろん喧嘩もする。けど夫婦だって恋人同士だって喧嘩はする。でも、あきらめたりとか、いろんなことしながら仲直りして、しゃあないなって言いながら何とかやってる。それで良くない? よう考えたら変える必要なんか一つもないやん。テポドン飛んでくるったって、そんなアホなことやらへん。朝鮮総連の仲間をね、金づるを絶対殺さへんと。それは中国だってそう。

マキノ 改憲論者の人たちの、ちょっとまやかしなんじゃないかなって思うのは、中国の脅威とか北朝鮮・韓国の脅威とか、いわゆる領海や領土の問題で揉めてるようなことが、改憲すればなくなるっていうふうにイメージ操作してる気がするのね。じゃあ日本が自衛隊を国防軍っていう名称に変えたら、韓国とか中国とか恐れ入って引き下がるのかっていったら絶対そんなことない。必ずもっと揉めるし、もっとキツイ状況になるだろうし。

 


この部分に見られるある種の「楽観」について、僕は違和感を覚える。北朝鮮による拉致だって十分「そんなアホなこと」だと思うのだが、現に彼らはやった。旅客機をハイジャックしてビルに突っ込むことだって「そんなアホなことやらへん」と多くの人が思っていたのに、それは起きた。僕は思う。常に「脅威」は現実的に現在進行形で存在していると考えるべきではないだろうか? もちろん改憲や集団的自衛権行使容認でそれらの「脅威」がすっかり解消されるとは思わない。ただ、「想定の範囲外」では守れない命があることを我々はすでに知っているし、ウイグルでもチベットでも、またシリアでもイラクでも、「そんなアホなこと」が今日も続いている。「脅威」は、ある。まずはそういった現状認識を確認したい。


さて。安全保障においては、軍事力のバランスが崩れた時に軍事行動が起こるというのは一つの常識だろう。だから平和を守るためには、誰にも「勝てそうだぞ」と思わせないことが大切なのではないだろうか。つまり問題は、何が有功な備えなのか? ということであって「そんなアホなこと」として現実の「脅威」を一蹴することではないはずだ。しかるに、この鼎談を通じて現実の「脅威」について、また、その対処についてほとんど何も議論されていないのは奇妙なことだ。自宅の塀に鉄線を張り巡らせる家主の目的は、誰かにケガをさせることではない。集団的自衛権の行使容認には、安全保障の選択肢を広げる、自由度を高める、という側面もあるのではないか。


もちろんリスクもある。マキノさんがおっしゃるように、日本が軍事的プレゼンスを高めることによって周辺国と「もっと揉める」という、いわゆる「安全保障のジレンマ」の問題もあるだろう。だが、たとえば自衛隊を解散するとか、米軍が日本から即座に撤退するとかして日本が抑止力を失い、周辺国との軍事バランスが大きく崩れるような状況に至れば、別の角度から「揉める」危険性が高まることもまた事実だ。米軍が撤退した後のフィリピンでどんな問題が起きたか、そういった事実も頭のどこかには置いておかなければいけない。そりゃあ、無闇に軍事費を拡大していくことには僕だって大反対だ。しかし、考えて欲しい。この十年、どこの国がそういったことを実行してきたのか? 答えは明らかだ。


 

 

沢田  ピースボートやってて、もう意気盛んで。(議員の)年数が長くない人がね、ポロっと「商売」って言いましたから。で、その時 『我が窮状』の歌詞を渡したんだけどね、うまいこといったら誰かにコピーして渡してくれるのかなって思ったら、何もないんですよね。だから一枚損したなあと(笑)。

 いや、それくらいにこう、あの人でさえね、おまえまだそれ言うたらあかんやろって感じの人でも「商売」言うんやから、安倍さんとか世襲の人は、もうお家の仕事ですよ。そういう感覚で政治家になる彼らは、もうロボットだと僕なんかは思う。小泉進次郎でしたっけ? 彼にしたって、まあ今はイケメンやからちやほやされてるかもしれないけど、中身は同じことでしょう。

 

 

世の中には世襲でイケメンであるにもかかわらず勤勉な人間もいるのだ、という厳しい現実を我々は受け入れなければならない。また、「商売」だと思って仕事をしている議員がいても僕は問題ないと思う。僕だって演劇という「商売」をしているからだ。公務員が無私の公僕でなければいけない、とも思わない。人類のために骨身を削って働く「商人」もいれば、自分のためだけに働く「公務員」もいるだろう。問うべきは実力。沢田さんは動機の純粋さを議員には求めるのにご自身は「一枚損した」という感覚で活動していることを堂々と公言している。これはダブルスタンダードと言わざるを得ない。(憶測だが、彼女は関西のノリで「仕事≒商売」てな言葉の使い方をしただけなんじゃないか?)

 

 

マキノ 日本って国家自体が、昔の言い方で言うと一等国になるとかね、そういう必要は全然ないように思うんです。あと、日本人は基本的に疎まれてるというか、あんまり好かれてないっていうのをもっと知るべきだよね。だって黄禍論の時もそうだったけど、第一次大戦終わった時のパリ講和会議で、人種差別撤廃を訴えたの日本だけでしょ。で、総スカンじゃないですか

 たまに、こう一握りの、野球選手とかノーベル賞とるような科学者とか、あるいは世界的な芸術家なんかが出てね。あと日本の工業技術はすごいねとか、町工場の技術はすごいねとか、世界に比肩し得るような優れたものがいくつかあって。もうそれだけでいいんじゃないかと思うんだよな。国全体の実力として、世界にのしていこうとか世界に貢献しようとかって思わない方がいい。常任理事国とか、もう絶対にならない方がいい。そんなに好かれてないし、この先も絶対そんなに好かれない。今はまあ、同盟国とはいうものの、アメリカの言うことをなんでもきく国ってのが実情なわけで。

永井  日本って海外から見れば絶対にアメリカの属国で、尊敬されてないのよね。経済大国になったから、何となく自分たちは一等国の気がしてるけど、文化的に民度が高いと思われてるわけじゃないから。

マキノ 経済もだんだん衰退してくるので、「できる範囲でがんばって行きましょう」くらいの方がねえ。そんなこと言うと、若い奴には夢がない話になっちゃって可哀想なのかなあ。

沢田  いやいや。そういうことを言う人もたくさんいないと。僕ら、そういう役割をしないといけないんじゃないかと思う。

 

 
ここに関してはこんなにも認識が違うものなのかと率直に驚いた。どうしてこんなにも自己肯定感が低いのだろう……と言っては可哀想なのかもしれないが。確かに、今だって黄色人種に対する人種差別はあるだろう。でも僕は日本人が「基本的に疎まれてる」とは思わないし、「尊敬されてない」とも、「文化的に民度が高いと思われてるわけじゃない」とも思わない。そりゃ「特別崇高で気高い、とてつもなく美しい国だ」とは言わないが、まあべつに、普通なんじゃないかなあ。加えて、パリ講話会議で人種差別撤廃を訴えたのはどう考えても日本の誇っていい歴史だと思うし、それを否定した国際連盟にとって恥ずべき歴史だろう。確かに当時は「総スカン」だったのかもしれないが、現在、その理念の正しさをどの国も否定できはしない。

 
 

マキノ そこまではないと思うな。よくね、「日米安全保障条約の同盟国であるところのアメリカの艦船が目の前で攻撃されてても、イージス艦からは応戦できないんですよ?」ってたとえ話をする論者がいる。それは僕、個別法でやったらいいと思う。「そういうことが起こった場合は応戦します」とすればいいだけで。活動中に攻撃されてやむなく応戦するっていう限定的な戦闘と、そこから集団的自衛権にものすごく一足飛びに飛ばして、攻撃を受けたから報復のためにその国を攻撃しに行きますっていうのは、「それ全然別の話だから!」と思うのね。だからそのたとえ話を出す時点でもう、「あ、まやかしがある!」ってすごく思うんだけど。

 
 

ここが最も法的に理解が難しかった部分だ。僕の理解では「アメリカの艦船が目の前で攻撃」された際に、「イージス艦から」「応戦」するための「個別法」を作るためには集団的自衛権の行使容認が必須になるはずなのだが……。自国が直接攻撃を受けていないにも関わらず個別的自衛権を発動できる……個別法? そんなものが法のロジックとしては作れるのだろうか? いや、もし作れたとしても、それって実質的には集団的自衛権の行使容認なのではないかしら……。


そして明らかな誤りがある点を指摘しておこう。「攻撃を受けたから報復のためにその国を攻撃しに行きます」ということは集団的自衛権の範疇を明らかに越えているので、少なくとも法的にはそのような行動は許されていない(参照:下記リンク)。集団的自衛権で認められているのはあくまでも攻撃の「阻止」であって、「報復」「攻撃」などの行為は認められていない。それらは一般的に言って国際法の規定する「自衛権」の範疇を越えている。よってここでマキノさんが心配しているような事態は集団的自衛権行使容認の議論とは切り離して考えるべきものであり、まさに「それ全然別の話だから!」といえる。

 

上記関連の国会答弁

 

 

マキノ あとね、言葉に酔い易いっていうのもあるから、「かつて平和憲法というものを護持して、そこに殉じて滅んでいった立派な国があった」っていうなら、もうそれで充分じゃないかと、僕なんかはそんなふうに思っちゃう(笑)。「そんな国を攻撃してくるような世界なら、それは私たちが生きるに値しない世界だ」ぐらいなことをね、格好いいと思っちゃうんだけどね。

 現実にはそんな夢想は相手にされなくて、「世界の国際政治の舞台ではこういうことが起こってます。こんなふうにして日本の国益は損なわれてます。だからこうしましょう」っていう改憲派の論法に押されちゃうと思うんだけど。でも本当にリアルなこと言うと、国際政治に参加していけばいくほど、日本はきっと嫌われるしさ。で、九条の歯止めなくしちゃったら、いざという時には本当にやるからね。もし何か酷い目に遭ったら、本当に自分たちが滅びるまでトコトン行っちゃう人たちなんだから。

 だから、強い軍隊を持っておくっていうのは別にいいことだと僕は思うのね。吉田茂の時代みたいに軽武装でいいとは思わない。その時代に即して、最新鋭の方がいいと思う。それで恐れられてればいいと思う。練度も高い方がいいと思う。で、自衛官も誇り高い方がいいと思ってるんだけど、でもそれは国内向けには軍隊ではないっていう。「日本のは自衛隊ですから」っていう、ダブルスタンダードでいい。そういうふうにして少なくとも戦後六十何年? 再来年で七十年ですか、無事にやってきたんだもの。そんな期間戦争しなかった国は、もう平和国家として誇っていいわけだから。変える必要は全くない。

 

 

言うまでもなく国家の果たすべき最高の役割は、国民の生命・財産を守ることである。だから「国民の生命・財産」と「平和憲法」と、どちらを優先して守るべきかは国家にとって考えるまでもない問題だ。これはマキノさんも自分が言葉に酔ってしまう傾向があって危険だ、という文脈でおっしゃっているんだろうから、まさか「国民の生命・財産」よりも「平和憲法」を守れ! とは思っていらっしゃらないと思う。続く文章がそれを証明している。
 

ただ、もしも「平和憲法」を守るために日本が滅んだ場合、「立派な国があった」という形で歴史が綴られる可能性は絶無に等しい。日本を滅ぼしたあとでその国は必ずあることないこと日本の罪を巨大なものとしてでっちあげ、「まあ、そんな酷い国なら滅ぼされてもしかたないか」という方向に国際世論を導くべく広報活動を行うだろう。その際、日本はそれに対して一切、反論することができない。滅んでいるから……。


ここでマキノさんがおっしゃっている自衛隊肯定論には少し注意が必要だろう。おそらく、マキノさんの言う「ダブルスタンダードでいい」という意見の底には、自衛隊の存在そのものは違憲ではない、という解釈が流れているからだ。もちろん政府の公式見解としても現在、「自衛隊は憲法違反ではない」。では、その解釈はいつの段階で発生したものなのだろうか?


そもそも憲法九条には「陸海空軍、その他の戦力はこれを保持しない」とはっきり書いてある。たとえ自衛隊が「国防軍」とは呼称されない現在のような形であっても、普通に読めば、それが「その他の戦力」にすら該当しないと解釈するのはかなり苦しい。事実、かつての政府見解で吉田茂は「個別的自衛権の行使すら放棄する」というラディカルな立場を表明していたのだ。つまり、その時点の解釈では自衛隊は「違憲」であった可能性が高い。

のちに、その憲法解釈は時の政権によって幾度も変更されていった。「自衛権の行使は可能」(鳩山一郎)、「集団的自衛権の行使だって可能」(岸信介)、などといった形に。そういった「解釈改憲」によってはじめて「自衛隊は合憲」というマキノさんのような立場が成立するのではないだろうか。まあ、そのあとでさらに「やっぱり集団的自衛権は違憲」(田中角栄、鈴木善幸、これが現在の解釈)と変更が行われてきたので話はややこしいのだが……。



参考「安倍首相が甦らせる祖父、岸信介の憲法解釈」



僕も「まやかし」があるな、と感じるのは解釈改憲反対派の人も大抵「吉田茂の解釈に立ち返れ」とは主張しないし、ましてや「岸信介の解釈に立ち返れ」などとは決して言わないということだ。良いか悪いかは別にして、すでに過去において憲法解釈の変更、すわなち「解釈改憲」が行われたことは事実であり、我々はそのあとの日本を生きている。僕は今の日本を、「九条も人気があるし、自衛隊も人気があるから、両方アリってことにしちゃおう! ま、矛盾しているんだけどね」という状態なんじゃないかと思う。だから、これはちょっと恐ろしい話なんだが、矛盾を前提として成立しているのでこの話はすでに論理の話ではなくなりつつある。では何の話なのか。気分の話ではないだろうか。おそらく、そういったわけで気分に訴える言葉、「運が逃げますよ」なんてものが飛び出してきたのだろう(うーん。憲法の話はややこしい)。

 

引用部分後段のマキノさんには賛成できる部分も多いのだが、たった七十年のあいだ戦争が無かったからと言ってこれからも平和が続くと判断するのは早計だと僕は思う。第一、「平和」では無かった日本人もいるではないか。この七十年の間に拉致事件が起きて「国民の生命・財産」が奪われたのだ。そしてあの事件について長い間多くの日本人が、「そんなアホなことやらへん」と信じ込んでいたのだ。そのことを我々は痛切に反省しなければいけないし、被害者家族にとっては拉致が行われたその日から今日まで「平和」だった日などあるはずがないではないか。


これは「九条を守っていても運が悪い人はいる」などと言って済む問題ではあるまい。やはりこの鼎談はタイトルからしておかしい。安全保障の問題を「運」という言葉で語ることは危険極まりない。「そんな国を攻撃してくるような世界なら、それは私たちが生きるに値しない世界だ」なんてことを、たとえ冗談でも拉致被害者の前で言えるのだろうか? そんな言葉にうっとり酔いしれてしまうのは、「日本が攻められたら神風が吹く」と信じこんでいた幕末の公家とその精神において類縁であると断じざるを得ない。罪の無い若者や子どもが理由も無く拉致されて、それでも絶対に助けに行かない「覚悟」なんてものが本当にあるのか? 「運」よく拉致されなかった我々は、そのことをこそ自らに問うてみる必要があるだろう。まだしも犠牲になるのが自分であれば、それに「殉じて」諦めがつく人もいるだろう。しかし、誰も家族や友人に対しては、愛する人に対しては、そんな「覚悟」を強いることはできない、いや、したくないのではないだろうか。それでも、そんな場合でも戦争を思いとどまれるか? その時、万全の準備をしてきたと言えるのか? 問われているのはそういった問題ではないだろうか。


「脅威」は常にあると考えるべきだし、状況は刻々と変化していくと認識すべきだろう。何が最善かは誰にもわからない。その中で、少しでもマシな選択ができるように、絶対に戦争が起きないように、現実的な方法をみんなでしぶとく考えていくしかない。僕はそう思う。





(※後日追記)

コメント欄であった指摘について、部分的にではありますが回答します。「件の対談中もっとも重要な論点」とコメントを書いてくださった稲富さんが指摘することに僕も賛成だからです。ただ、なかなか回答するのは難しく、ちょっと曖昧な返答になっていることをご容赦ください。


 

>永井 安倍さんは官房長官だった06年に、「北朝鮮のミサイル基地をたたくことも、法律上の問題としては自衛権の範囲内」って言ったことがある。ブッシュがイラクに攻め入ったのは、「防衛のための先制攻撃」って口実でしたもんね。先制攻撃したら防衛じゃないだろって規範を、ブッシュが破っちゃったわけじゃないですか。安倍さんの発言はそれに乗じたんだと思う。(以上、鼎談本文より引用)

>永井氏は──おそらく「悪の枢軸国」としての北朝鮮からの連想で──イラク戦争における「先制的自衛権」を引き合いに出していますが、集団的自衛権の問題の文脈では、その前の「攻撃を受けたから報復のためにその国を攻撃しに行きます」というマキノノゾミ氏の発言と「ブッシュ大統領」の組合せからして、2001年の9.11以降のアフガニスタン紛争が想起されるべきでしょう。当の紛争では、テロ攻撃に対する武力行使が自衛権の発動として正当化されるかどうか、またアメリカと共同でアフガニスタンを攻撃することが集団的自衛権のもとに正当化され得るかどうかが問題となりましたが、「積極的平和主義」を掲げ、集団安全保障に基づく武力行使まで視野に入れている安倍政権下の日本でも、これはまさに喫緊の論点となっていると言えます。(以上、稲富さんのコメントより引用)



このあたりは僕も正確な引用ができないので恐縮ですが……。まず、僕はそもそもアメリカのアフガニスタン、およびイラクへの攻撃はどちらもまったく正当性を欠いた行為で、アメリカという国家の行動としてのみ見た場合にも間違っていたと思います。加えて、日本を含めた複数の国家があの戦争に加担してしまったことも(日本は「復興支援」という形ではあったが)間違いだったと考えています。しかし、僕は当時そういった認識を持っていなかった。なんだか奇妙な論理のねじれを感じてはいたのですが、ビン・ラディンを掃討することにはある種の正当性もあるのではないかと考えてしまっていた。イラク戦争のわけのわからなさに至ってようやくこれはおかしいと思ったような有り様です。よってこれに関しては偉そうなことは何も言えません。ですが、その後の両国の様子などを見るにつけ、ああいった行動を今後は厳に慎まなければならないと考えています。

そのことを前提とした上で、上記の問題と件の安倍答弁とは切り離して考える必要があるのではないかと思います。問題の安倍答弁がなされた06年といえば、まさに北朝鮮が核実験を行った年であり、その数年前からずっとかの国の核開発疑惑を巡っての激しい応酬が続いていた時期ではなかったでしょうか。僕の認識では、もし仮に北朝鮮が核弾頭を搭載したテポドンやらノドンやらを発射することになり、それが複数の弾頭による一斉発射という形を取った場合には、それに対しての有功な防衛手段を日本は持っていないのではないでしょうか。
あの当時、いや、現在もだと思いますが、日米のイージス艦、あるいは航空自衛隊、陸上自衛隊ペトリオットPAC−3を使用しての弾道ミサイル防衛システムがあるとはいえ、複数一斉発射のミサイルを残らず全弾撃ち落とせるという確証は無い。これが現実ではないでしょうか。

北朝鮮が核開発を進展させたことによって、それ以後の日本は核攻撃の脅威を想定しなければならないという非常に緊張感の高まった状況に追い込まれてしまったと言えます。言い換えればそれは、複数弾頭による発射準備が進められていることを確認した段階で相手国のミサイル基地を叩かなければ、現実的な防衛の最終手段を失ってしまう、ということを意味しているのではないでしょうか。おそらく、件の安倍発言はそういった危機に対応する必要を迫られている中での、そんな文脈での発言ではなかったでしょうか。

あの当時の安倍発言をアフガニスタン紛争やイラク戦争と関連づける永井さんのような見方があることは、ある意味では当然と言えます。現実に小泉首相率いる自民党は対テロ戦争というイベントにかなり前のめりになってしまったのですから、今後、同様の事態が発生した際にも同じような判断しかできないのではないか? そういった疑念は当然でしょう。ですが一方で、件の安倍発言にはそれを出さなければいけない状況もまた存在していたように思うのです。


日本の掲げる「専守防衛」は、言うなれば「一発は殴らせてやる」という戦略でしょう。ですが、万が一、弾道ミサイル防衛システムによっても阻止できなかった弾道の中に核が含まれていれば、それこそ最悪の事態を引き起こしてしまいかねないわけです要するに「一発殴られたらすべてがおしまい」になってしまう危険が生じた。したがって核抑止力を持たない日本としては、核武装をしてしまった隣国に対して、せめてそういった発言をするという形ででも牽制を加えておく必要があったのだろうと思います。そしてその選択は、日本も負けじと核開発を進める、という選択よりはかなりマシなものではなかったかと僕は思っています。ですから、そういった危機的状況の中での抑止力の拡大として、件の安倍発言には擁護されるべき点があると考えていますし、それを対テロ戦争への便乗とのみ解釈してしまってはいけないと思います。その懸念にも妥当性があることは認めますが、やはりあの発言をさぜるを得ない場所に日本は追い込まれてしまった、そんな見方もあってしかるべきでしょう。

コメント
(1)

以下、批判的なコメントを書きます。

言い方が難しいのですが……今回16日の一連のツイートから始まった広田さんの日本劇作家協会の政治的姿勢への批判には、やはり、自分は本質的な意義を見出すことができません。なんとなく、真正面からの議論を避けて叩き易いところだけを叩いているという観がある。例えば「集団自衛権の行使容認」については、件の対談中もっとも重要な論点は永井愛氏の次の発言にあるはずです。

>永井 安倍さんは官房長官だった06年に、「北朝鮮のミサイル基地をたたくことも、
>法律上の問題としては自衛権の範囲内」って言ったことがある。ブッシュがイラクに
>攻め入ったのは、「防衛のための先制攻撃」って口実でしたもんね。先制攻撃したら
>防衛じゃないだろって規範を、ブッシュが破っちゃったわけじゃないですか。安倍さん
>の発言はそれに乗じたんだと思う。

永井氏は──おそらく「悪の枢軸国」としての北朝鮮からの連想で──イラク戦争における「先制的自衛権」を引き合いに出していますが、集団的自衛権の問題の文脈では、その前の「攻撃を受けたから報復のためにその国を攻撃しに行きます」というマキノノゾミ氏の発言と「ブッシュ大統領」の組合せからして、2001年の9.11以降のアフガニスタン紛争が想起されるべきでしょう。当の紛争では、テロ攻撃に対する武力行使が自衛権の発動として正当化されるかどうか、またアメリカと共同でアフガニスタンを攻撃することが集団的自衛権のもとに正当化され得るかどうかが問題となりましたが、「積極的平和主義」を掲げ、集団安全保障に基づく武力行使まで視野に入れている安倍政権下の日本でも、これはまさに喫緊の論点となっていると言えます。マキノ氏の言う「個別法で対応しろ」というのは、憲法事項であるべき武力行使について法律で定めてよいということですから確かにおかしいのですが、その点だけディベート的にあげつらってもしょうがない。安倍政権のヤバさを見るに、集団的自衛権の行使容認に対してマキノ氏や永井氏が抱いている危惧は十分納得し得るものです。安倍首相の「積極的平和主義」がアメリカの対テロ戦争に集団的自衛権を発動して追従することに等しいということはもはや明らかですから。この点ではむしろ「集団的自衛権で認められているのはあくまでも攻撃の「阻止」であって、……」と仰っている広田さんの方が視野が狭いように感じます。件の対談では、アメリカ主導の軍事的制裁行為への加担の是非が直接問題となっているの言えるのだから、広田さんとしても、「絶対に戦争が起きないように」個別的自衛権のみならずグローバルな集団的自衛権も行使容認すべきだという方向性で、論敵の視野を超える緻密な議論を展開しないかぎり、直観的には正しいかもしれない「気分」への本質的批判にはならないと、自分は考えます。

〈つづく〉
  • 稲富裕介
  • 2014/06/27 10:54 AM
(2)

「解釈改憲」をめぐる広田さんの議論にも自分は違和を覚えます。ディベート的に相手の「矛盾」を指摘して、「自衛隊を合憲とするならば解釈改憲(による集団的自衛権の行使容認)も認めるべきだ──それが嫌なら九条そのものを改憲すべきだ」という筋を導こうとしているように窺えます。しかし、ここでも議論の的になっているのは結局個別的自衛権を超える集団的自衛権の行使容認の是非なのだから、マキノ氏の発言は「自衛隊を合憲とするダブルスタンダードには賛成するが、集団的自衛権の行使容認をするダブルスタンダードには賛成しない」、というふうに読み替えれば別におかしくはない。ダブルスタンダードの是非を集団的自衛権の是非より上に置いているわけではないはずですから。つまりマキノ氏や永井氏が主張しているのは「集団的自衛権の行使に絶対反対!」であって、「(九条の)解釈改憲に絶対反対!」ではない。広田さんが指摘した「矛盾」というのは、どこか藁人形論法に近いところがありはしないでしょうか。ここでもやはり広田さんは集団的自衛権の行使容認について緻密に論じるのを避けて浅瀬を渡っているように感じます──失礼ながら。そして例えば、仮に九条改正によって集団的自衛権の行使の明示的規定を目指すのならば、どのような場合に海外派兵が可能なのか、どういう場合に同盟国の戦争に付き合うのか、その条件をどう定めるか、緻密かつ具体的で開かれた国民的議論が必須になりますが、解釈改憲による行使容認だと、海外派兵という国の命運に関わることが時の政府の思惑によってなしくずしに可能になってしまいますから、集団的自衛権の行使に賛成でも安倍政権の解釈改憲には反対という誠実な立場(例えば憲法学者の小林節氏の立場)も、あってしかるべきでしょう。というか、「立憲主義は国家権力を縛るものだという考え方があるが、それは王権が絶対的権力をもっていた時代の話だ」と口走った安倍首相のヤバさを低く見積もるべきではない。自分としては「平和を守るためには誰にも『勝てそうだぞ』と思わせないことが大切なのだ」という軍事学入門のレベルでこの問題を論じるのは、素朴過ぎると考えます。

もちろん、件の対談の中で緻密な議論が展開されているわけではありません。しかし現在の自民党および安倍政権の危険性からすれば、それに対する危惧をたとえ「気分」としてでも表明していることは、妥当でないとは言えない。与党となった自民党が何を目指しているかは、2012年に発表された自民党憲法改正草案がまず参照されるべきでしょう。そこに表れているのは、立憲主義を相対化する露骨な国家主義です。国民一人一人の存在よりも国家という全体が先行して、個人の幸福も市民社会の自由も国家の維持・利益に関連づけられているかのような奇妙な転倒が書き込まれている。憲法前文の「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。/我々は自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。」からしてトバしてますが、それよりも誰の目から見てもおかしいという条文を一つ引きましょう。
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第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。
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表現の自由を規定した第二十一条のこの第2項は、現行憲法にはなく、改正草案で新設されたものです。いやー、公益だか公の秩序だか何だか知らないけど随分大胆に表現の自由を攻撃しに掛かってますね。「俺たちは全体主義的統制が好きなんだよ! 文句あるか」って感じでしょうか。私としては、私自身がどんな政治的イデオロギーを持っているかどうかにかかわらず、これほどに馬鹿げた憲法改正草案にOKを出し(酷いのは第二十一条だけではないです)、さらには憲法第九十六条の改正で改憲のハードルを下げることを狙っている現安倍政権を評価する気は、ほとんどありません。表現の自由の問題に絡んで日本劇作家協会がセンシティヴに反応するのも止むを得ないと思います。余談ですが、国民の自主防衛意識の重要性を謳いながらも「文化の第一の敵は言論の自由を最終的に保障しない政治体制に他ならない」と言い切った三島由紀夫にとっても(『文化防衛論』)、現政権は侮蔑の対象となったことでしょう。リバタリアン的な個人主義の立場からはさらに論外だというのは言うまでもありません。

〈つづく〉
  • 稲富裕介
  • 2014/06/27 10:55 AM
(3)

結局のところ、今回の一連の広田さんのツイートで私が一番訝しんだのは、広田さんの安倍政権への評価が見えて来ないところです。「特定秘密保護法」も「集団的自衛権の行使容認」も、それがどのような政府の下で提案され何に利用されようとしているのかを見ないかぎり、抽象的なディベートにとどまってしまうはずです。私が広田さんのツイートを「左翼的言説への嫌悪」に過ぎないのではないかと疑義を呈したのはそれゆえです。件の対談では、冒頭から安倍政権への危惧が表明され、現政権下での「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認」には反対という姿勢をはっきり打ち出している。根本の文脈はそれです。そして、それに対して広田さんはどんな射程で、どこまで具体的に自分の政治的主張を打ち出そうとしているのか。自主防衛意識の啓発の根拠が、もし西岡力的な反北朝鮮ナショナリズムなのだとしたら(そうではないと信じています)、一歩間違えると歴史修正主義的誤謬と軌を一にしかねないことになりますが……広田さんがその道に踏み込んだ時には、親友といえども、徹底的に批判します。覚悟してください。

いずれにせよ、広田さんが今日本劇作家協会を批判するのに、どんな必然性があるのか。それが見えて来ないかぎり、最終的には私も広田さんの政治的主張に「気分」のようなものしか見出すことができません。そのような形で不用意に政治的発言をすることは、広田さん自身のためにもならないと考え、上、長文したためました。非礼悪しからずお赦し下さい。

ではでは。
  • 稲富裕介
  • 2014/06/27 10:57 AM
(追記)

(解釈改憲について少しだけ。「解釈改憲による集団的自衛権の行使容認」の対偶を取ると、「憲法解釈による自衛隊の解体」ということになるでしょうか。上野千鶴子氏のような人が首相になるようなことがあれば後者も起こらないとは限らないので、その場合も政府解釈のみでそこまで国の命運を左右してはならないという正当な議論があり得ます。そして、そういう極端な事態を避けるために、国防軍の保持を憲法に明記すべきだという主張は分かりますし、広田さんの公正感覚もその辺りにあるのではないかという気がします。ちなみに、集団的自衛権の行使として認められるのはどのような場合か条件を定めておらず、その都度「個別法」で決定してよい──議会の相対的多数派で決定してよい──としている自民党の九条改正案は、やはりヤバい代物です。)
  • 稲富裕介
  • 2014/06/27 1:44 PM
稲富さま

まずはコメントありがとうございます。稲富さんは僕の記事全般に対しての批判と、個別具体的な事案に関しての批判を両方されている。全般的な批判について意訳すれば「細かい揚げ足取りのような議論はやめて建設的で本質的なことについての意見を述べよ」という要旨かと思います。それは部分的には、大いに理解できる意見です。ただ、それに答えてここで自説を展開することはしません。理由は下記で述べます。

まず、稲富さんご指摘の複数の点について反論したい気持ちはあるのですが、このコメントに僕が返信をするとすれば、まったく別の議論が始まってしまうという危惧があります。たとえば、自民党の憲法改正法案を問題視する話などは、対談でも僕の反論でも触れられていない、稲富さんが新たに提出した論点であり、西岡力氏を一言で切って捨て、ほとんど補足なしに小林節氏を「誠実」という言葉で持ち上げている。ここにも大いに反論をしたい気持ちはあるのですが、何を前提にそれらの発言が成されているのか、その根拠が明示されているわけではないので反論は不可能です。また、こういった点についても僕達が議論の応酬をしていれば論点は際限なく拡散してしまう。

ここで僕は伺いたいのですが、稲富さんはあの対談についてどういった立場なのでしょうか? まずそれを明らかにしていただかなければ議論にはならないと考えます。なぜなら、稲富さんはあの対談の内容を一部、補足したり理解を示したりしている一方で、僕があの対談について行った批判については概ねスルーしている。このまま議論を続けるとすれば、僕が批判したことについて稲富さんには応答責任がまったくなく、一方的に僕だけが稲富さんの指摘に答える必要が出てきてしまう。それでは議論が崩壊していくのは目に見えている。

「なんとなく、真正面からの議論を避けて叩き易いところだけを叩いているという観がある」という指摘は耳の痛い話でもありますが、僕はあえてそういう書き方をしています。当然ながら、僕は政治や軍事の専門家ではなく、僕が問題の核心部分を体系的に論じる力も無いし、その必要も無いと自ら判断しているからです。それは当然、表現者としては大きな踏み絵を踏まされることでもあるし、さらに言えば、そのご指摘は稲富さん自身のコメントについても大いに該当してしまう。それが反論を困難にしている主因です。

誤解しないでいただきたいのですが、僕はあの対談についてまったくの外野から発言をしているのではありません。僕も劇作家協会の一員ですから、あの対談の内容、そして反対声明に賛同しているという、当事者の一人として「そんな声明に参加させられるのは嫌だ」という意味もあって書いているのです。それが僕の立場です。僕は純粋に集団的自衛権の行使容認について議論しているのではなく、劇作家協会が政治性を持つことに対して疑義を表明する意味を含めて書いている。僕の意見を契機として、協会が政治性を持つことの意味を問いなおす流れが生じれば、それは僕にとっては十分、本質的な意義のある成果だと言えます。当然ながら、ここにもうひとつの「政治」があるわけです。
  • ヒロタ
  • 2014/06/28 4:00 AM
広田様、ご多用中迅速の応答いただきありがとう存じます。やたら長文のコメントで広田さん個人のサイトを荒すような形になってしまったのみならず、広田さんの不用意を咎めながらこちらにこそ不用意な発言がなかったかと、危惧します。これ以上不遠慮を重ねないよう、今回はできるだけ簡潔にリプライ致します。

ご質問の「稲富さんはあの鼎談についてどういった立場なのでしょうか?」に対する応えは、内容レベルでは「現在の自民党および安倍政権の危険性からすれば、それに対する危惧をたとえ「気分」としてでも表明していることは、妥当でないとは言えない」です。パフォーマンスのレベルでは、あのように実質的に意見の違いのない人間だけで互いの同質性を確認し合うような鼎談を劇作家協会のサイトのトップに置くことは、鼎談中永井愛氏が「議論」の必要性を口にしているにもかかわらずそれを裏切っているという意味で、批判されてしかるべきと考えます。

私が広田さんのブログを含む今回の一連の政治的発言を見た時、感じたことは、(議論の過程が不透明なまま)劇作家協会が特定の政治的表明を出すというパフォーマンスへの批判以上のものでした。端的に、あの鼎談の内容レベルに踏み込んだ批判だと感じたのです。そうであるならば、広田さんの言説は、あの鼎談が置かれている文脈と現今の政治情勢からして、そのまま安倍政権の擁護として機能します。私が過敏なだけかもしれないですけれど、正直、なんでこんな踏み込んだ発言をするんだろうとドキドキしながら見ていました。

今回、広田さんが以前の記事「日本の演劇人の思想的な傾向について思うこと」よりも遥かに踏み込んだ発言をされたことは、個別の論点を越えてご自身の政治的姿勢の「正しさ」に自負があったからではないでしょうか。それ自体はもちろん、広田さんの気骨を示すことです。なんとなく「平和が良いよね」で致命的な議論を避ける非政治的態度に比べれば。ただし、その「正しさ」がどれほどの強度を帯びているかは他者との多事論争を通じて試されることになるはずです。例えば──まだ拉致問題への世間の関心が低かった頃から「家族会」を支援していた功績は決定的に銘記されるべきですが──北朝鮮拉致問題の被害者家族の感情を「救う会」の中核メンバーが政治利用しているのではないかという疑義は、被害者家族の方(蓮池透氏)からも、かつて「救う会」に携わっていた人間からも出ています。被害者家族の方々の悲憤へのシンパシーを元に論敵の政治的主張に対抗しようとすることは、限りなくそうした政治利用に近似してしまうのではないでしょうか。もちろん、広田さんにそんな意図はない。しかし、自分は広田さんの言説がまとっている「正しさ」にシンプルに説得されない。ならば「議論」が必要、ということになりますが……。

それが難しいということは理解します。劇作家協会へのパフォーマティヴな批判が主目的なら、それが不要であるということも。むしろブログのコメント欄でいきなり長文で政治的議論を始めようとする私が狂人なだけで、元々のブログ記事の主旨を強調して議論を収めるという広田さんの冷静さに敬服致します。これ以上議論を続ける必要はないという点、了承します。

余計事でお煩わせして申し訳ありませんでした。
  • 稲富裕介
  • 2014/07/01 12:21 AM
稲富さま
申し訳ありませんでしたなんてとんでもない! あの鼎談に対する僕の批判がいかに中途半端なものであったか、あなたの反論によって明確になったことと思います。もちろん、今もってあの鼎談の内容を支持できない部分は多々ありますし、自分の発言を今の時点では撤回するつもりもないのですが、やはり僕は本当の意味で「正面から」の批判をすることから逃げていた。へっぴり腰でした。「だったら最初から言うなよ」という部分がたくさんあります。

結果としてあなたのコメントによって僕の不見識が救われている。それは間違いありません。心からの感謝をするとともに、自分の本当に発信したい情報とは何なのか? より深く吟味して今後の活動に活かしてまいりたいと思います。
  • ヒロタ
  • 2014/07/01 3:53 AM
こんばんは。名古屋からメール打ってます。名古屋公演は、有りませんか?
いつも応援しています。
  • 広田淳一
  • 2015/07/28 11:29 PM
名古屋に、住む同姓同名です。
いつも応援しています。芸術家の広田淳一さんを応援しています。
  • 広田淳一
  • 2015/07/28 11:45 PM
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