劇作家・演出家・俳優の広田淳一のプログです。
 
広田淳一、客演情報!  99roll 「東京離散姉妹」に出演します。


どうも広田です。本当にブログの更新は久しぶりになってしまいました。
ちかぢか、といっても本当にすぐなんですが、今週末に客演いたします!
もっと前から稽古はしてましたけどねっ。

99roll」ククロールという新劇団の旗揚げに関わることになりました。『東京離散姉妹』という作品でございます。

人格的にやや難りの素材である私はあんまり客演てなものでうまくいった試しがないんですが、今回は年上女子に囲まれて姉妹役を演じるというなんとも不思議な役どころをあてがわれており、和気あいあいと座組に溶け込んでおります。思えば、姉と妹に囲まれて育ってきましたのでね、女子に囲まれている環境は自分的にはごく自然なことなのかもしれません。

というわけで、リンク先にも詳細ありますが、以下、詳細貼りつけておきます!
どうぞ見に来てやってくださいませ。


公演日時 (開場は開演の 20 分前となります)

11 月 26 日(土)14:00 / 19:30 ☆  
   27日(日)14:00 

☆…26日(土)19:30 の回の終演後「リトルフェニックスカフェ」開催! リトルフェニックスバンドによるライブ有り !

バンド出演/フルハシユミコ(Vo. 馬頭琴)、竹内武(B.)、三入梨沙(P.)、 池田大計(Ac.)その他


作・演出 菅野直子
出演 上野智子、広田淳一(ひょっとこ乱舞) フルハシユミコ、山口めぐ(楽天団)、佐藤汰夫

音楽 三入梨沙
美術、チラシイラスト 國分郁子  
演出助手 阿久津智美
チラシデザイン  来住真太
広報  熊谷薫 

企画/制作 99roll
協力 黒テント、楽天団、ひょっとこ乱舞、太田麻希子、塩川京子、吉田千尋

料金 前売 2,000 円  当日 2,300 円
予約開始  11月1日(火)11時より
予約・お問合せ  tel 070-5574-5712  mail info@99roll.org

*お電話、メールにて、お名前、ご希望日時、チケット枚数、ご連絡先をお知らせ下さい。

会場 黒テント・シアターイワト 3F (神楽坂)
住所・東京都新宿区岩戸町7  
【2011.11.20 Sunday 07:17】 author : 広田淳一
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姉が子供を産みました。












産まれました。
【2011.10.11 Tuesday 15:47】 author : 広田淳一
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定期稽古
10月3日

久しぶりに劇団の定期稽古
やっぱり自分の現場は稽古場なんだということを実感する。授業型のワークショップとはまた別の、参加者と一緒にあーでもないこーでもないと考えていく稽古。


結局のところ、動くことと話すことをどうやって繋げるか? ということだけを問題にすべきなのかもしれない。

しばらくはそのことばっかりやっていよう。
【2011.10.05 Wednesday 13:30】 author : 広田淳一
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「家庭の幸福は諸悪の根源」
8月はとにかくいろんな出会いがありすぎた。
どれもすばらしい出会いだった。

意外なところで強烈な印象が残ったのは利賀村のシンポジウムで観た浅田彰。ファッションといい、その異様な若さといい、攻撃的な毒舌といい、とにかくものすごいインパクトだった。中でも、現代の演劇・文学シーンのあれこれをいっぺんにぶったぎる一言は特に印象深かった。

「それはセラピーであって、芸術とは何の関係もない」。

僕はドラマセラピーの本をちょうど読んでいるところだったので、セラピーと舞台芸術がいかに近い場所にあるかを感じていた。それだけにこの一言はガツンときた。確かに近くにはある。が、それは全く違うものなのだ。

浅田彰の考える「セラピーとは何の関係もない芸術」の内実がどういったものなのか詳しくはわからない。が、浅田さんにとって、その2つをなかば意図的に混同させて進む現代の「舞台芸術シーン」がイライラする何かであることは間違いなさそうだった。

ドラマにはセラピーとしての効能が確実にある。芸術には人を癒す力が確かにある。その一方で「癒し」とは何の関係もないところにある「芸術」について、僕にも少しはわかるような気がする。

鈴木忠志演出の「別冊谷崎潤一郎」を観ていても、あれは癒しの物語とは程遠かった。「セラピー」とか「癒し」とかいう概念には、おそらく、狂ってしまった何かを軌道修正して正常な何かに戻すくらいの意味がどっかにあるだろう。が、一方で「芸術」はそもそも「正常化」などを目指さない運動ではなかったか。

行きずりの女を殺して火をつけて、何ら反省をしないようなそういった心を描いて「癒し」や「回復」など求めないところにこそ「別冊谷崎」のすごみがあったように思うのだ。

いわゆる「アーティスト」に対して、社会的な参加が求められる場合、その職能として期待されるのは「癒し」や「回復」、「開放」といった極めて健全なものである場合が多い。そして事実、ダンサーや、俳優、演出家には、そういった期待にある程度応える能力が備わっていることも多い。

が、本来、「アーティスト」の仕事は壊れたおもちゃをなおすことではなく、壊れたおもちゃがいかに壊れているか、その壊れっぷりをいかんなく見せつけ、壊れたまま肯定してみせることではなかったか? 僕は浅田さんの毒舌をそんなメッセージとして受け止めて、それにはかなり共感した。
【2011.08.30 Tuesday 16:07】 author : 広田淳一
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吉祥寺シアター演劇部
いやはや、全然ブログ更新しないうちに終わっちゃいましたが……。



まあ、このようにひょっとこ乱舞の助手たちもヘトヘトにはなってしまったのですが……。はっきりいってこのイベント、『吉祥寺シアター演劇部』、大成功だったんじゃないでしょうかっ!? 

吉祥寺シアターの職員の方々には予想をはるかに上回る手厚いバックアップを頂戴いたしまして、ありがたいかぎりでした。本当に本当に感謝しております。

劇団の内輪スタッフたちに加えて、何よりも誰よりも、参加してくれた吉祥寺シアター演劇部の「部員」に感謝します。

また報告しますっ!
顔出しNGということで、ちょこちょこといけそうなショットを!





下は落書きする「部員」。
とにかく落書き好きなのな、みんな。



ちょっとは「先生」っぽくなってるでしょ?

【2011.08.08 Monday 16:16】 author : 広田淳一
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出演情報 『生むと生まれるそれからのこと』
えー、ひょんなことから、ひょっとこ乱舞としてちょっとだけドラマに出演することになりました。ちょいとですが。

ハイバイの岩井さんが脚本で、渡辺哲也さんという方が演出です。渡辺さんはNHKのドラマ部にいる方なんですが、元を正せば広田の大学時代の演劇サークルでの先輩でして、僕が演劇を始めるきっかけを作ってくれた人なんです。

で、今回、ドラマのあるシーンで演劇的な動きのあるシーンを作りたい、ということを考えたそうで、集団で動きを作る奴らといえばこいらだろうということで、ひょっとこをキャスティングしてもらったというわけです。というわけなんで、なんかドラマですけど、動いてます、ハイ。

ハイバイやひょっとこ乱舞だけでなく、あれこれ小劇場役者満載ですので、ぜひチェックしたってください。僕もまだ完成した作品を見ていないので放映を楽しみにしとります。

僕らはなんか回想シーン(?)のクラスメートみたいな役で、ガクラン・セーラー服で出演しております。エキストラに毛が生えた程度の出番ですがよろしければぜひ。以下、詳細です


NHK ハイビジョン特集ドラマ
『生むと生まれるそれからのこと』
8月27日(土) 22時〜NHK BSプレミアム
脚本:岩井秀人
出演:柄本佑、関めぐみ 金子岳憲 平原テツ 鶴見辰吾、国生さゆり 成河 ひょっとこ乱舞のみなさん ほか
【2011.07.24 Sunday 15:59】 author : 広田淳一
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世田谷アーティスト・トークそろそろ


来る7月19日にアーティスト・トークなんぞというものをさせていただきます!

詳細はこちら


先日、打ち合わせに行ってきたのですがあれこれと話しが飛んでまとめるのに大変ではありましたが、楽しい会に出来ればと思っております。

現代において小劇場で活動するということ、今後の展望、韓国の話、フェニックス・プロジェクトの話、劇団10年の話と、盛りだくさんでお話させていただければと存じます。

どうぞどうぞふるってご参加くださいませ。

【2011.07.19 Tuesday 16:53】 author : 広田淳一
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パフォーマティブな劇評の試み、その1、『荒野に立つ』
『荒野に立つ』を観てきた。
ネタバレしてるかもしれませんので、ご注意を。










といったものの実は大して感想はないのよね。
そうかそうか、とかそれぐらいのことしか思わなかった。なんだかこっちの感性がにぶっているのかしら? 間違いないな。急なお通夜がその後に控えていたので喪服で観劇なんかしたのが悪かったのかしら? それもあるな。モヤモヤそんなことを思いながら出てこない感想をひねり出して書いてみよう。何か、ヒントのようなものがあったような気もする。

うつらうつら、というよりは、ふと全く関係ないことを考えている自分を劇場で見つけることしきりだった。これはこれで劇場での有意義な過ごし方なのよね〜、なんて思いながらメモを取ったり観客席を眺めたりしつつ、どうにも集中できない。テンポが遅いんじゃないかしら? などと思う。

ゆっくりした演技が続き、しかもとても静かなシーンが続くので当然、緊張感は高い。が、俳優の身体がしゃんとしないので場が持たない。成立しない。もちろん持っている場面もあるのだけど、キレイなひょろひょろしたお姉さんたちが筋肉のない身体をフラフラさせていたのでは、あの空間は支えきれないのではないだろうか。ああいった何もない舞台を支えるには何らかの工夫がいる。俳優の肉体か、テンポなんじゃないか、などと思う。ホントかな。でもまあ、とりあえす、「荒野に立つ」には、そのどちらもなかった。

しかし、おそらくそれらの「必需品」は意図的に欠損させられたようだった。どこに長塚さんの狙いがあるのかはわからないが、何らかの意図をもってテンポよく物事が進むことは厳しく拒否されていたし、あまりにも不用意に俳優はヘロヘロの身体を晒した。停滞する時間の中に長塚さんが何かを見出そうとしたことは明らかであったが、その、見出そうとしたそれが何なのか、そこを感じることができなかった。のだと思う、私は。

たとえば、巨大なプールに水彩絵の具のしずくを垂らして、その拡散していく色彩をスローモーションで撮影して眺めてみるような、そういう楽しみをあの舞台上に見出せばよかったのだろうか? そんな風な意図があったようにも感じた。が、そのためには絵の具(俳優)がちゃんとした絵の具でなければイカンのじゃないか、などと思う。

素直に感想を言えば、難解な戯曲だった、ということになるのだろうけど、その難解さというのもある程度、長塚さんがわざわざ難解にしたものだったようにも思う。韜晦とでもいうのかしら、いや、もちろんわかりにくくしよう、という意図ではないとは思うけど、少なくともあれは「よくある戯曲」ではない何かであった。

そして、俳優よりも戯曲が全面に出る舞台になってしまっていた。ああいう戯曲こそ、俳優が前に出てこなければいけないと思うんだな。んー。というのは、意味を考えても面白くない戯曲だから。意味の向こう側に観客を連れて行くことが彼らの狙いだったはずではないか? と思うと、戯曲が前面に出るべきじゃない。そんなものは背景で十分。が、そうはならなかった。うむ。なんでやろ。

好意的な言い方をすれば、いわゆる普通のストーリーからあえて逸脱していこうとする冒険心、野心をもった戯曲だったということができる。とはいえ、その表面上の難解さとは裏腹に戯曲が描こうとする対象そのものは極めて現代的かつ、等身大的な何かであるようにも思われ、そこに難解さは全くなかった。なんか理解しやすい分、そのあたりに捕まってしまったのかもしれない。何が? 私の自由な空想力が。

要するにあそこで描かれていることは「現代日本における不器用な女の生きづらさ」とかそういう題材だったと思う。そして、それに関しては、そうかそうか、と思った。同意できることは多かったがなんだか納得させられてしまった感じがした。つまり圧倒されなかったということ。ああ、僕は圧倒を求めて観劇しているのだな、なんちゅうことを観客席に座りながら思う。それは大音響とかそういうことを言ってるわけじゃあ、まさかなくて、どんなベクトルにせよ、舞台にいるからには圧倒されたいと思っているのだよ私は、ということ。絶対的な瞬間とか、圧倒的な力とか、ありえない説得力とか、なんだかそういう強烈なものを舞台に求めている。はたして先日の私のリーディングにそんな力があったか? 怪しいな。いや、はっきり言おう。そんな力はなかった。納得はさせたかもしれない。しかし圧倒はできなかった。欲しいのはそっちなのに。

観客席を震わせるような共振させてくれる何かを求めているんだよな〜。そうなんだよな〜、なんてことを思いながら観客席でペットボトルの水を飲む。のどが乾いた。

「荒野に立つ」の戯曲は、難解なように見えて実は一本線のような構造になってしまっていたんではないか、と思う。それは書かれている内容が論理的に常に整合性が保たれていたままだったという意味だ。描かれている内容そのものは超現実的なものだったりしたのだが、その語り口は大変論理的であったために、話の整合性ばかりが目立ってしまった。「あさり」や「目玉」のメタファーは自由な広がりをもっているように見えて、結構、まじめな分析を求められているような息苦しさがあったのではないかとも思う。意味を見つけることを強いられる、という感覚。

あのあたり、もっと放りなげてくれればこっちもぼんやり考えるのになあ、とか思いながら私は十分ぼんやり考えていたのだから、これはこれでよいのかもしれない。私の反応もまた、彼の狙い通りの反応のひとつなのかもしれない。俺って落ち着きがないからとなりの人に迷惑かけてるよなあ、すみません、とか思う。

しかし、なんだか釈然としないものが残る。というかあれだ、何が一番興奮しなかったかといえば、あのセリフを俳優が言えてなかった、ということだ。ああ、それだわね。言えてない、と思ってしまったのだ、全然。はじまってすぐ。最後まで。

誰がうまいとか下手とかそういう俳優の技術の問題ももちろんあるのだろうけど、当然、俳優間に優劣もあったと思うけど、それ以前に演出の問題として、あのセリフをあのように言わせることは無理なんじゃないかと思ったのだ。誰に何を伝えようとしているのかわからないセリフが多すぎたし、そんなものはどうでもいいメッセージじゃないんだ、というなら、その台詞が何らかの描写にすぎないとするならば、なおさら、その描写する主体がよって立つ足場が見えてこなかった。足場があればよかったのか? いや、なくてもよいんだ。足場の無さ、という非常事態に俳優を臨ませることができればそれでよかったはずだ。あたかも俳優が、確固たる足場を得たかのような顔をしていたこと、少なくとも私にはそう見えたことの中に、言えてない、という感覚の核心があるように思う。

あの戯曲に書かれていたのは、普通のセリフのようにしゃべってしまうにはあまりにも異常なセリフたちだったはずだ。そうじゃなかったかな? すくなくともそういう場面はたくさんあった。が、それらのセリフはなんとも力のない身体からフラフラと出てきた。力がある、とは筋肉のことばかりではない。精神的な葛藤、緊張感によっても力は生み出せるだろう。あの言葉が生成される場の危うさ、足場の不確かさ、を俳優がその身体で感じることができれば、もっと力は出たのではなかったか。その力が、不足していると感じた。

私は観劇中に、あの戯曲の意味がわかりにくかったので、がんばって聞いてあげた。聞いてあげないと、意味がわからなかった。しかし、わからせて、どうするのか? わかったところで、せいぜい、わかった、ということしか思えない。こっちは圧倒されたくて観客席にいるというのに。そういう舞台を作りたいものだ。圧倒。とにかく圧倒的な何かに飢えているんだな。とかそんなことを思って劇場を後にした。この思いは昔から全く変わらない。悪く言えば成長がない。

斎場につくと22時近くになっており、亡くなった婦人の三人の息子と私の父が、わざわざ私のためだけにそこで待っていてくれた。かえって悪いことをしたような気持ちがして、恐縮していると、更にお礼を言われてしまうという恐縮の悪循環。乾いた寿司とローストビーフ、小さな小龍包を食べて、帰宅。


【2011.07.17 Sunday 11:20】 author : 広田淳一
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ひょっとこ乱舞番外リーディング『まだ、わかんないの。』全文
はっきり言って我ながら読みづらい、と思います。すませんです。ブログの文字の装飾がよくわかってないのです。勘弁したってください。

本番では、登場人物が二人である以下のテキストを、6人の俳優によってリーディングした。

前提

音響・照明の効果は最小限に控える。
身体に関してはあくまでも不動の動を見せるのであって、ムーブメントを見せるわけではない。
本の形式に関しては台本の紙をそれぞれが持っている稽古場の状態でいいのかもしれない。極力、本番用に整えられたのではない状態を準備する必要があるのではないだろうか? 家での普段着、とか。

場面1 モノローグ カズヤ

カズヤ ……だからその日もいつもどおりっていうか、俺は水を見てまして、
声   水?
カズヤ はい。あの、俺が働いてたのは水質を管理するなんか、センターみたいなとこで、俺はその水の状態を監視する仕事をしてたんですけど、
声   ふーん。
カズヤ ま・でも、水を見てるっつっても水槽の前に座ってたりとかじゃなくて、沢山あの貯水槽があるんですけど、それの状態をこう、一編にモニタリングできる場所があって、そこに待機してるんですよ。で、ちっこいテレビみたいのが沢山並んでるの見てて。
声   ふふーん。
カズヤ でまあ、何も起きなければキホン何もしないで良くて、たまに警報機ていうかブザーがなったら、まあ、いろいろ水質を良くするみたいな処置をしたり、あとは、「ヤバイですよォ」てのを担当の人に伝えたりっていう、そういう仕事で、はい、そういうのをやってました。
声   だけどそれもその日でおしまい?
カズヤ まあ、なんていうかそうですね、「おしまい」。
声   うんうんうん。
カズヤ だからあれですね、なんかあの、俺の人生の主役は俺なんだぞ、みたいな。そんな風に思ってたとこがあって、でも、それは違った、ていう。
声   はいはい
カズヤ ま・当たり前っちゃ当たり前なんですけど世界は別に俺を中心にして回っているわけじゃないし、てか、そんなのわかりきってるし、ていうつもりだったんですけど、そうそう、そうなんですよね。なんか世の中っていうのは世の中の方の都合とかタイミングで勝手に進んでいくんだよなぁ、っていう、そういうもんだと思ってたんですけど、そんぐらいのことは納得してるつもりだったんですけど、俺も。
声   うんうん
カズヤ けどまあ、いつの間にかっていうんでもないですけど、やっぱりなんかどっかで思いこんじゃってたというか。何かいろいろとこう、ある程度自分でコントロールできるんじゃないかっていう、なんか人生を? 自分でコントロールできるっていう誤解をしちゃってて。
声   はいはい
カズヤ だから実際、ホント俺とはなんの関係もないところで、こんな中途半端な感じで「俺」ていう存在がなくなってしまう、てことがやっぱり。うーん、不意打ちだったんですね、めっちゃくちゃ。だからまあ、想像力が追いつかないというか、なんか、うん。追いつかないっすねえ、全然。

場面2 ダイアローグ スカイプ 安否確認は同窓会のように

何人かの俳優が椅子に座っている。
それぞれ台本を手にしている。
   
ミヤコ あ、もしもし? ナイトウ君? あたしあたし、ミヤコです。て、え、見えてる?
内藤  いや、見えてないすけど。てか、重くなるんで映像つけてないんですよ。
ミヤコ あ、そう。あ、そういうもの?
内藤  まあ。ていうか、マジ久しぶりっすね(笑)
ミヤコ ね。久しぶり(笑)
内藤  うあー、元気にしてんすか?
ミヤコ 元気元気。てか、ナイトウ君は元気にやってんの? 
内藤  まあ、はい。怪我とかはしてないですけど。
ミヤコ よかったね。あ、なんかごめん、わざわざ電話もらっちゃって。て、これ電話なの? スカイプって電話?
内藤  まあ、大丈夫ですよタダなんで。
ミヤコ あ、そう? へー、そうなんだ。
内藤  なんかこっちこそすみません、わざわざアカウント作ってもらっちゃって……。
ミヤコ ああ、あんまよく分かんなかったら友達(彼氏)にしてもらって、
内藤  ああ、そうすか。
ミヤコ うん。え、今、内藤くん、どこいんの?
内藤  韓国。
ミヤコ カンコク? て、え、カンコクって韓国?
内藤  そうですそうです。いや、韓国は韓国じゃないですかそんな。今、ちょっとソウル来てまして、
ミヤコ ええー、なんでなんで? てかだから携帯つながんなかったのか。て、え、なにやってんの韓国で?
内藤  や、まあ、いろいろなんか仕事したり、あのほら、自分ちょっと親戚がこっちにいますんで、
ミヤコ ああ。
内藤  まあ、観光とかもしてるんですけど、
ミヤコ えー、そうなんだ、え、え、いつからそっちいんの?
内藤  半月前ぐらい……。
ミヤコ あ、そうなんだ。え、じゃあれだ、地震の時は全然もう、
内藤  そうなんすよ。もう地震ん時はこっちだったんで、全然なんか蚊帳の外っていう感じで、
ミヤコ わあ、なんかじゃあ、よかったかもね、それはそれで。安全ていうか、ね、
内藤  ま・ある意味そうですね。
ミヤコ え・じゃなに地震のニュースとか全然あれ? わかんないっていうか、
内藤  や、でも一応ネットはつながってますし、なるべく情報は入るようにしてるんで……。
ミヤコ そっかそっか。だよね、そりゃ。
内藤  ていうかミヤコさん大丈夫なんですか、家族とかそういう……、
ミヤコ うん。あたしは全然、大丈夫なんだけど。
内藤  はい……。
ミヤコ あ、でもびっくりした。そっか海外か。そういう場合もあるか。
内藤  なんかあったんですか、急に(連絡してきたりして)? 
ミヤコ ああ、いや、別にどうっていうこともないんだけど、いや地震とかもあったし、大変ですねみたいな、内藤くんどうしてんのかな、っていうのもあったし、
内藤  はぁ……(そんな程度のことでわざわざ連絡してきたのかな?)
ミヤコ とゆーかあのさ、内藤くんにちょっと聞きたいことがあって、ていうあの、そういうのなんだけどさ、
内藤  はい
ミヤコ あの、今、カズヤさんてどうしてるかわかる?
内藤  や……、カズヤさん、はちょっとわかんないですけど……。
ミヤコ え、連絡をとってみようとかそういうことはした?
内藤  この地震のあとでってことですよね?
ミヤコ そうそう。取ってない?
内藤  いや、取ってないすね。ていうか俺もう、カズヤさんと何年も連絡とかとってないんで、
ミヤコ そうなんだ。
内藤  はい。え、ミヤコさんはまだなんか、続いてるんですか?
ミヤコ や、全然続いてはないんだけど別に。
内藤  ですよね。
ミヤコ あ、いや、別れてるよ全然、そういう意味では、
内藤  なんか俺もそう聞いてから、
ミヤコ うっそ、え、誰に聞いたの? 
内藤  え、別にやっちゃんとか……、
ミヤコ あー、やっちゃんね。てか、元気にしてんのかね、やっちゃん。
内藤  あいつは、はい。相変わらずっすよ。こないだも二人で焼肉食い行って
ミヤコ へー、そうなんだそうなんだ。
内藤  すげえ太ってますよあいつ。
ミヤコ えー、ぷくぷくだ。
内藤  もう、ブクブクっす。
ミヤコ て、えーと、なんだっけあの、だからそう、あたしも別にカズヤさんと連絡とかとってたわけじゃないんだけど、なんかでもカズヤさん宮城じゃん、とか思って。
内藤  あー、そうでしたっけ?
ミヤコ 覚えてない? ホラ、なんか正月明けかなんかでお店いったときにさ、カズヤさんが実家のお土産とかなんとかいって牛タン買ってきてくれて、
内藤  ああ、はいはいはい。なんかありましたね牛タン。「すげえいい牛だ」とか言って、
ミヤコ そうそう、いい牛だ、いい牛。
内藤  そっか宮城でしたっけ、ああ……。て、え、今、カズヤさんて実家帰ってるんでしたっけ?
ミヤコ え、東京いんの? 全然知らないんだけど、
内藤  いや、別にあの、俺も何も知らないんですけど、
ミヤコ なんだよ。
内藤  すみません、なんか、あー、そっか、帰ったきりでしたっけ?
ミヤコ じゃないの、多分。え、やっちゃんとかとさ、そういうカズヤさんの話とかになんないの?
内藤  や、全然……。
ミヤコ なんだよモォ。
内藤  すみません。あの、え、でも俺らがお店いたのってなんだかんだもう……、え、何年前だ、3年とかじゃないですか、もう。
ミヤコ いやいや3年どこじゃないでしょ。もう5年前とかだよ普通に。
内藤  え、マジすか? ええ(考えてみる)?
ミヤコ 全然いってるでしょ。だってホラ、ドイツのワールドカップがどうとかいってたんだから、
内藤  あーそうか。5年、とかですか。わー、なんか、思い出した。すげえカズヤさん熱くなってましたよねあの、ジダンが。頭突きがどうのこうのとかっつって、
ミヤコ ジダン? て、ああ……。
内藤  あのホラ、サッカーのハゲのあの、すっげえハゲのあの、
ミヤコ わかるわかる、
内藤  しばらくやってましたもんね、ジダンの真似とかってつって、頭突きばっかして、
ミヤコ やってたやってた、
内藤  流行っちゃって、カズヤさん中で、
ミヤコ あたしもすっごいされたもん頭突き。てか内藤くんとよくサッカーの話してたよね、
内藤  ま、でも、ぶっちゃけ俺もあんまわかってないんで、合わせてただけですけど、
ミヤコ あ、そうなの?
内藤  マニアック過ぎるんですよあの人。なんか、よくわかんないサッカー雑誌とかいっつも熟読してて、
ミヤコ マテラッツィだ! マテラッツィ!
内藤  え、え?
ミヤコ や、なんかジダンに頭突きされた人? マテラッツィ。
内藤  なんなんすかそれ。
ミヤコ いや、あたしがいつもマテラッツィやらされてたから、
内藤  頭突きされるだけですよね?
ミヤコ そうなんだよ、ひどくないあの人、て、違う。サッカーの話はいいんだよ別に。
内藤  はいはい。
ミヤコ じゃなくてだからそうだ、カズヤさんが実家帰ってるんだったらこの、今回の地震とか、結構なんかあったのかなァ、とか思って、
内藤  どこでしたっけ、宮城の?
ミヤコ いや、わかんない。わかんないの内藤くん?
内藤  いや、んー、仙台ではない、みたいなこと言ってたような気ィするんですけど……なんか、んー……え、カズヤさん電話は変えてないんですよね、あのドコモから?
ミヤコ 多分ね。
内藤  なんすか多分て。
ミヤコ 一応、電話するとプルルルってはなるんだけど、
内藤  出ないんですか?
ミヤコ 出ない。出ないし……、あーでも内藤くんとかが連絡したら出るのかも。
内藤  え?
ミヤコ や、なんかあたしだから出ないだけかとかも思って、
内藤  それはないんじゃないですか、
ミヤコ と思うんだけどね、あたしも。でも、なんかメアドは変えたっぽいからメールは返ってきちゃうし、ていうか、新しいメアド知らねーし、みたいなこともあって、
内藤  はいはい。
ミヤコ そう、だからあれだよ多分、なんかほら、携帯のさ、会社を変えても番号は変わりませんみたいなあの……番号……あんじゃんなんか、番号なんとかっティみたいな、
内藤  適当っすね。や、わかりますけど、あれですよねあの、番号……なんとかっティ
ミヤコ マテラッティ、
内藤  違いますよ絶対。じゃああの、わかりましたよ。そしたら俺の方でもなんか、やっちゃんとかにもいろいろ聞いてみたりして、連絡とってみますんで、
ミヤコ やっちゃんならわかるかな?
内藤  聞いてみますんで。
ミヤコ うん。お願いしてもいい? 
内藤  ハイ、大丈夫ですよ。
ミヤコ あー、なんか、よかった内藤くんに連絡して。ありがとうほんと。
内藤  でもあの、なんていうか、
ミヤコ ん、なに?
内藤  連絡ついたらどうするんですか?
ミヤコ どうって、何が?
内藤  や、それでカズヤさんと連絡ついたとして、なんていうか……、あー、ま・別にどうするとかないっすよね、それは。
ミヤコ うん。別にどうもしないけど。
内藤  ですよね。
ミヤコ うん。え、なんかしないとダメ?
内藤  てわけじゃないですけど。あ、全然ダメじゃないです。すみません。
ミヤコ なんかあれ、単なる自己満足だろって?
内藤  いや、そんなこと言ってないですけど、別に。
ミヤコ そりゃ別にねェ、カズヤさんになんかあったとして? じゃ・なんか助けが必要な感じだったとしてどうするかっていったら別になんにも考えてないし、何それ、とかは自分でも思ってるけどさ別に……
内藤  や、それはミヤコさんとカズヤさんの話だと思うんで、ちょっとわかんないんですけど。
ミヤコ わかんないよ、あたしだって。でもなんか、え、そりゃ別に今は全然、付き合ってるとかでもないし、なんか別にあたしも自衛隊とかじゃないしさ、
内藤  ん? 自衛隊?
ミヤコ いや、何も力にはなれないとは思うけど、別にそういう道路とか作れないし、
内藤  それは作んなくて大丈夫と思いますけど、
ミヤコ あたしは別に何もできないけどさ、だからってカズヤ君が今どうしてるとかそういうのが心配っていうのはそれは別に本当じゃん、だって心配なんだから実際、
内藤  すみませんなんか。
ミヤコ え、なんで謝るの? 別にそんな、謝るようなことじゃないと思うけど、
内藤  そうですよねあのォ……、なんていうか、まだ分かんないじゃないですか何も。そんな全然、何もないかもしんないですし。全然ね、大丈夫かもしれないわけでしょ、そんな。
ミヤコ ……。
内藤  や、俺も別にミヤコさんに言われなかったら普通になんもしてなかったと思うんで、それは別に、いいと思うんですけど、はい。あのー、とりあえずまあ、連絡取ってみますんで。
ミヤコ うん。
内藤  またなんかわかったら、すぐミヤコさんにも連絡入れますから、
ミヤコ うん。ありがとね。ホント。
内藤  いやいや、じゃああの、はい。また。
ミヤコ またねー。

場面3 モノローグ 内藤

内藤  そのあとすぐにやっちゃんにメールをしてみたんだけど、やっぱりというか、やっちゃんも全然カズヤさんのことは何もわかってなくて、ま・そうだよな、とも思ったんだけど、俺が韓国にいるっていうこともあいつはわかってたからなのか、やっちゃんの方が俄然やる気になってくれて、当時の店長なんかにも連絡をとってくれるっていう話になった。

ずっと前に別れたはずのミヤコさんがちゃんと今でもカズヤさんのことを心配してる、みたいな話がやっちゃん的にはヒットしたらしくて、「やっぱそういうつながりって貴重」みたいなことになって、あれこれ骨を折ってくれることになった。

やっちゃんは今、一人で海外旅行に行ったりするのが趣味なんだけど、それも元々はカズヤさんに『深夜特急』ていう、沢木耕太郎ていう人の書いた長い長い旅行記みたいな本を勧めてもらったことがきっかけだったらしくて、そういう意味では、カズヤさんはやっちゃんの人生を変えた人なんだそうだ。

俺とカズヤさんとはもう何年も会ってない。距離がでかい。というか、カズヤさんのことなんてミヤコさんに言われるまで実際忘れていたぐらいのレベルだったし、というかもっと言えばミヤコさんのことなんてメールが来たときに一瞬思い出せないぐらいのレベルだった。もちろんこの地震のあとでも連絡をとろうとかそんなことは一回も考えたことがなかったし、好きとか嫌いとか以前に、なんつったらいいのか、ただ、ただ、距離があって。カズヤさんとも当時は毎日つるんでて、いっつも一緒にいたのに、今はなんにもわからない。一番親しかった人とこそ、一番遠くなってしまう気がする。何故だかわからないけど、なんだかそういうことになってしまう。生きているのか、死んでいるのかもわからないぐらい、遠くになってしまう。

場面4 モノローグ ミヤコ

ミヤコ 震災があって、なんかテレビとかで津波の映像とかをいっぱい見て、でも全然現実感がわかなくて、「え、これって本当に今、現実に起きていることなの」って思って、最初の何日かは一生懸命にテレビばっかりを見て、ある時にぷつっと我慢できなくなって、そういうの全部、見るのをやめた。

周りで友達の女の子がわけもなくワンワン泣いてたり、それであたしもつられて泣いたりなんかして、実際のところ自分でも何に対して涙を流しているのか全然意味がわかんなくて、多分友達もそうなんだけど、これは、この涙は、なんかの言い訳みたいになっているのかなって、自分がこうやって涙を流してると、あたしはそういう冷たい人間じゃない、みたいな、あたしにとっても人ごとじゃありませんよ、みたいな、そういう言い訳みたいなことで泣いているのかなって、そうでもない、そうでもないはずなんだけど、一瞬、そう思ったら、ものすごく白けた気持ちになった。くだらない。と思った。

だけど、それでも、少なくとも何かの言い訳をしなくちゃいけない程度にはあたし自身もなんらかのダメージを受けているっていうか、自分に対してどうしたらいいかよくわかんない思い、みたいな、そういうものがあったのかもしれなくて、多分それは、ちょっとは本当の部分がある、と思ったらようやく少しだけ、ほっとした。

そん時に夕焼けがとってもきれいで、ああ、なんか見透かされたみたいだなって思ったんだけど、そうそう、見透かされたんだ。その日はなんだか巡りあわせというかで夕焼けを見ることになって、やっぱりあたしは夕焼けが好きで、それはとってもとってもきれいだった。くだらない。と思う。

被災した人がツイッターかなんかでつぶやいていたのを後で見て、ああ、それはそうかもしれない、て共感したのがあったんだけど、それは津波で町が流されてしまった沿岸部に沈んでいく太陽が、なんだか本当に何の遠慮もなくきれいで、とてもとても美しい夕焼けで、ああ、きれいだなー、って。その人は、そう思ったんだって。

どうして、そんな時まで、きれいとか汚いとか、そういう視点というか、価値観というか、判断力のようなものが死なずに残っていて、どうしてそういう力があるんだろうってあたしは思って、で、そのつぶやきを見てなんか良かったというか、そういう風にあたしが思ったのは、やっぱり自分に対してちょっと納得したかったというか、安心? そうかもしれない。安心したかったのかもしれない。被災した人にもそういう呑気な気持ちがあるんだなぁって、いや、呑気とかいったらホントに怒られてしまうかもしれないけど、そういうまだ、息のある人がガレキの下にいて、急いでなんとかしてあげなくちゃとか、そういう本当に大変で、苦しいというか、辛いというか、そういう時間を過ごしている最中でも、やっぱりきれいなものを見たら、人はきれいだなー、ってそういうため息みたいなものがどうしても出ちゃうわけで、くだらない、と思う。けど、結局、あたしは、多分、私たちは、そういう生き物なんじゃないかなって、そう思ったのでした。

カズヤ君がどうしているんだろう、っていうことを最初にふっと思い浮かべたのはその時。もう何年も前にカズヤくんとは別れていたし、そのあと全然新しい彼氏ができて、むしろその人とも別れて、さらにその次の彼氏と今、あたしは付き合っているんだけど、それぐらい昔の話なんだけど、まあでも5年も経っているんだからそれはある意味で当たり前のことだとは思うんだけど、それでも、あ、カズヤ君宮城じゃん、大丈夫かな、というか、イヤだなあ……、この津波とか、地震とかそういうのにカズヤ君が巻き込まれていたらイヤだなあ、って思って。

むしろその瞬間に、今までいかに自分がこの地震のことを人ごとだと思ってきたかって言うことがよくわかって、そういう自分の残酷さ、というにはあまりにも呑気な、馬鹿さ加減みたいなものにようやく気づいて、こんなに大変なことになっているのにまだ何もわかんないのか、あたしって、とか思って、ホントなんなんだろうって、だけど、でも、カズヤ君のことは、生きていて欲しい。どうか、生きていて欲しいってそう思っていて、それは嘘ではない。嘘ではない、ことに、させてほしい。

ここ何年かのカズヤ君のことは知らない。多分この地震がなかったら、これから先のカズヤ君のことも知らない。もしかしたらほとんど思い出すこともなかったかもしれない。

けど、急に何だかそういう思いに囚われた。元気にしているのかな。カズヤくん。いや、もうカズヤさん。なのか、とにかくなんだか元気にしているのかな。無事でやっているのかな、って。無事でいてくださいって、誰に対して祈っているのかわからないけれど、そういう祈りたいような気持ちがふつふつと湧き上がってきて、だけどもう、カズヤ君はいない。あたしの中にはいない。とっくの昔にいなくなっていたんだよ。

だって今、カズヤ君がどんなことを考えていて、なんの仕事をしているとかそんなことは全然なんもわかんないし、髪型とか、洋服とか、聞いている音楽とか、今、カズヤ君が、何をどう感じて生きているのか、変わってしまったものとか、変わっていないものとか、カズヤ君に関する何もかもに一切、何の興味も持たないで過ごしてきてしまった時間が私には確かに、あるから。

今だって私は勝手に私の想像の中でこしらえた、全く更新されていない、ちっとも最新版じゃない、カズヤ君の思い出を相手に、勝手に一人相撲なんかをして、そういう気持ちを盛り上げているだけ。それは、わかっているつもり。だけど、実際、盛り上がってしまうものは盛り上がってしまうわけだし、この盛り上がりみたいなものをどうするのがいいのか、本当に本当にわからなくなって頭を抱える。マンガみたいに、部屋で一人でベッドの上で、頭を抱える。文字通り頭を抱えこんで、おまんじゅうみたいに丸くなっている、あたし。……誰か!

場面5 ダイアローグ スカイプ再び

内藤  あ、もしもし? ミヤコさん? あの今、ちょっと大丈夫ですか? て、聞こえてますか、おーい?
ミヤコ あーはいはい、ごめん大丈夫、聞こえてます。
内藤  あのー、カズヤさんのことなんですけどあの、
ミヤコ うんうん
内藤  店長とかにいろいろやっちゃんが聞いてくれて、あの、一応なんていうか実家にも連絡がついたみたいなんですけど、あの、カズヤさんなんか、もう何年か前に結婚したそうでして、あの、俺も全然、なんの連絡ももらってなかったんですげえびっくりしたんですけど、なんか地元のほうで相手見つけたらしくて、そんでなんかお子さんとかもいるらしいんですけど、て、あ、なんか、大丈夫ですかミヤコさん?
ミヤコ 大丈夫大丈夫、それで?
内藤  であの、ちょっとまだよくわかんないみたいで。安否というか、そういうのはよくわかんないみたいで、
ミヤコ ……。
内藤  というかまあ、結論から言うとあの、俺がわかったことはそれで全部なんですけど、その、何もまだわからないっていうことらしくて、

   間。

ミヤコ 帰ってきてない、ってこと?
内藤  はい。

   間。

内藤  まだ、わかんないそうなんであの、
ミヤコ うん、わかった。ありがとう。
内藤  はい。

   間。

ミヤコ 内藤くんに言ってもなんか、よく分かんない話なのかもしれないんだけどさ、
内藤  はい。
ミヤコ あの、いつかあたしも結婚とかをするとしてさ、今、付き合っている人かもしんないし、まあ、まだ全然、会ったことも無い人かもしんないんだけど、
内藤  はい。
ミヤコ 別に結婚とかじゃなかったとしてもいいか。でもなんか、きっとあたしがこれから好きになる人ていうのは全員、カズヤさんに似ているところがある。……と、思う。……(笑)だからなんだっていう、あれじゃないんだけど、さ。
内藤  ……はい。

【2011.07.16 Saturday 05:56】 author : 広田淳一
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『まだ、わかんないの。』執筆の指針
『まだ、わかんないの。』執筆の指針

この戯曲は3月11日の東北・関東大震災後に書かれた。まずは被災された方々へ哀悼の意を表したい。

震災後に何がどう変わったのか? あるいは何が変わらなかったのか? そのことを正確に把握することはまだ難しい。言えることがあるとすれば、ほとんどの日本人が震災後の風景をある種、共通の原風景の一つとして記憶したということ、そのぐらいだろう。

多くの演劇人もまた地震・津波・原発災害によって被災した。劇場を失い、あるいは劇団員を失うという強烈な痛みを体験した被災地の方々はもちろんのこと、東京の舞台芸術家たちにおいても、あるいは客席においても、この地震による影響は大きかったのではないだろうか。だが、それがもたらした変化がどんなものであり、何を意味しているかについては慎重に吟味されなければならず、よってそのことに関しては今、ここで判断を下すことをしない。私は単に「震災後」という場所に立っていることを確認した上で、この戯曲を執筆していくことにする。

震災後の地点から戯曲を書くといっても、この地震によって産まれた政治的・社会的対立を扱うという意味ではない。具体的に言えば、原子力行政にまつわる今後の展開や、震災復興のために真に必要な行政的な枠組みについての議論はこの戯曲からは徹底的に排除する。少なくとも私にとって芝居という表現形式は、そういった種類の議論を交わす場ではありえないからだ。

もちろん政治的に考えてみたいことも沢山ある。震災直後にも関わらず混乱らしい混乱を起こさなかった私たち日本人の国民性であるとか、そういう「伝統」にこの際注目してみることも決して無益でないだろう。
あるいは自国民からさえも徹底的に批判され、停滞し続けている行政のあり方に関して考えてみるのもよいだろう。常に批判の矛先に立たされる政治家や官僚という人々がある面で私たちの代表であることは明白であり、この問題解決能力の低さは人ごとではありえないからだ。

いったいどうして、私たちは効率よく日本人の力を結集することができなかったのだろう? どうしてもっとうまく、この国を運用していけなかったのだろう? こういった問いについては今後とも十分に考える必要がある。現政権が日本という政治的・文化的枠組みの中で震災復興という現実に立ち向かったことは事実であり、日本という国家、あるいは文化の持っている何らかの欠陥・限界が、震災に対して全く無力な中央政府という結果を産んだことはしっかり記憶されなければならないからだ。

余談が過ぎた。今はこの戯曲について話そう。
私は今、私が書けるものについてだけを書こうと思う。私はこの地震に対して当事者ではなかった。なにせ私は震災を韓国で体験している。東北・関東の人々が余震の恐怖と戦っていた3月4月の間、私はずっとソウルという場所で一度の余震も味わわずに過ごした。

そのことは私自身にとって大変奇妙な体験だった。そうして私が、世界と自分との間に感じてきた隔たりのようなものをより強く「実感」するのには十分な体験であった。事件はいつも私がいる場所以外のところで起こる。事件が現場で起こるものだとすれば、私はいつまでたってもその現場には辿りつけない。そういうまぬけな刑事の役割を負っているのが私であり、私のいないところにだけ「現場」というものが出現する……。そんな被害妄想的な気分さえ私は味わった。

冷静に考えれば、震災当時を私が海外で過ごすことになったのは単なる偶然である。そこに「意味」を見出すことに論理的必然性はない。だが、それが私の心理的真実であることもまた事実ではある。したがって、今現在も私にとって震災は手の届かない何かであり、隔靴掻痒、実感のわかない何かであり続けている。だが、東京の人間にとってこの感覚はそんなに珍しいものでも異常なものでもないだろう。このたまらない程のもどかしさ。これならば、今の私にも表現できるかもしれない。そのことをもって、この戯曲の出発点としたい。


【2011.07.16 Saturday 05:53】 author : 広田淳一
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